不動産競売必勝攻略法 追い出す人と追い出される人。
不動産競売の真実の姿とは――?
絶対に競売に関わらない人生を送る。
――あなたはそう断言できますか?

 



対決! 追い出し屋G 対 債権回収屋 編

※この話はメールマガジン「不動産競売必勝攻略法マガジン」にて連載していました。

 

〜プロローグ〜



ワタシは競売業者だ。

……とはいえ、自分で資金を出して競売に参加しているという訳ではない。

一言で言ってしまえば、給料を貰って働いている。

サラリーマンってヤツだな、うん。

今から話す物語は、別に特別な話っていう訳ではない。

競売業者であれば、誰でも一度や二度は体験している話だ。

競売業界に身を沈めている人間であれば、

そんな話を今更聞かされるなんて、それこそゲップが出る始末だろう。

それでも、業界外の人間にとってみたら、どうだろう。

もしかしたら、ワリと新鮮で興味深い話なのかもしれない。

読んでつまらないと思ったら、それこそゲップが出る気配を感じたら、

あなたのメールボックスからこのメールマガジンを消してしまえばいいだけだし。

あ、それだけじゃ、収まりがつかない?

時間を返せ?

うーん、それじゃあその怒りと憤りを和らげるためにも、

いますぐこのメールマガジンをプリントアウトすればいいんじゃない。

それでもって、その紙を足で踏んづけた挙句、

思いっきり丸めた上に細かくビリビリに破って、

ゴミ箱にポイって捨てれば多少はストレス解消になるかも。

鹿に食わせてもいいかも。

鹿せんべい買わなくて済むので一石二鳥だ。

……余分なことを話しすぎた。

話を元に戻す。

この話は競売業界にはありふれた、ごくごく日常的な話である。

まさに空気みたいな物語だ。

それを念頭に入れ、読んで頂ければ幸いである。



第一話 「春の胸騒ぎ」



それは――。

ひらひらと桜舞う、春の季節であったか。

暖かく麗らかな陽気とはまったく似つかわしくない、

競売と金に絡む黒々とした出来事があった……。

ありふれた話だ。

物語は――。

ワタシの会社があるマンションを競売にて落札したところから始まる。

そのマンションは、東京の城南地域に所在する。

城南とはいえ、ほとんど川崎といっても差し支えない場所にある、

大田区のそのマンションは六階建て、

総戸数五十戸を数える中規模の建物だ。

今回競売に登場したのはその建物の一室、3DKの間取りであった。

3DKといっても専有面積は、

せいぜい50平米あるかないかの程度であるため、かなり狭く感じられる。

ただそのマンションは築年数こそ、経過していたが管理員も常駐している。

なおかつ駅から一、二分でいける交通便の良さとともに、

すぐ側にはアーケードを擁した大きな商店街がある、

利便性を兼ね備えていた。

もっとも難を言えばそれはそれで数多くある。

思いつくままに簡単に列挙していくと……。

なにぶん古いマンションであるので、共用部分の設備が古い。

建物 自体のグレードも低い。

全室南側バルコニーではあるが、

目の前に同じ程度の高さのビルが建っている為、

陽当たりがあまり望めない。

隣接する商店街のテナントがパチンコ屋ということで、

ジャラジャラとパチンコを弾く音、店員の甲高いアナウンス、

そして今時にも関わらず軍艦マーチが漏れ聞こえてくる……などなど。

悪い部分を挙げていけばそれこそキリがないが、

もっとも駅近い中規模マンションなんて、大抵そんなものだ。

駅近い立地はそんな悪条件など吹き飛ばす程の魅力を持っている。

ウチの会社が落札したのは、そんなマンションであった。

ワタシは初めてこのマンションを見た時

「売れる、しかも、儲かる」という直感を抱いた。

古いマンションではあるが、前述の通り、駅から近い。

利便性もよい。

何はなくとも、マンションは立地だ。

古かろうが汚かろうが、マンション立地至上主義のワタシからいえば、

このマンションはまさしく「買い」なのである。

だが、ワタシの評価とは裏腹に、

競売に出たこの物件の世間での評価はあまり高くなかったようだ。

結局、ウチの会社を入れて三社しか入札がなかった。

しかも、ワタシが抑え目かなと思いつつ入れた入札価格が、

その二社よりも圧倒的に高額だったのであろう。

ああ、無情……。

世間様の評価より遥かに高い値段を想定し……・。

ワタシのこれは売れる!という自信も少々揺らぎ始め――。

いや、そんなことはない!

この物件は売れるったら、売れる!

売れるモンは売れるんだっ!!

……なんぞと無理矢理かもしれないが空元気を出した。

まあ、ワタシがこの物件の価値を見出したんだ。

他でもないワタシが売れることを信じなくて、誰が信じるのだ。

それに――だ。

もう落札してしまったのだから、

今の時点であれこれ悪いことを思っていても仕方がない。

今は突き進むのみ!!

ただ、このマンション売れることは売れるという確信はあったし、

後の話ではあるがこのマンションをリフォームし市場に出したら、

それこそあっという間に即売したのであるが――。

しかし、この時のワタシの心のなかに変に騒がしいものを感じていた。

そしてその胸騒ぎは、現実となるのであった……。



第二話「春麗(はるうらら)、隣は何する占有者」



春麗かな午後――。

幸せな陽気に誘われて、

ふわりふわりと出向いたのは東京は目黒のセンター。

正式名称、東京地方裁判所民事執行センターである。

このセンターは不動産競売を始め、

民事執行を専門に取り扱う裁判所施設だ。

数年前に霞ヶ関の官庁街から、

ここ目黒の住宅街に民事執行を行う部署が独立移転して来た。

センターの立地は、最寄り駅から徒歩15分程度掛かり、

あまり交通の便が良いとはいえない。

しかし、住宅街としては良好の体を成す地域に、それは位置していた。

ワタシは守衛の前を通り過ぎ、センターのエントランスに入る。

施設内に立ち入ると、まだ新しさを感じさせる建物であるが、

やはり競売を扱っているだけあって、どうだろう。

そこにはまだ、すでに負のオーラが充満し、

グルグルと渦巻いているように感じる。

妖気を察知した時に髪の毛を逆立てる鬼太郎の妖怪レーダーよろしく、

ワタシは少し鳥肌が立った。

  「おい、鬼太郎!!」

頭の中で目玉のオヤジの物真似をしてみる。

物真似といっても、とりあえず自由自在にいつでも取り出せるような、

便利な目玉を持っているワケではないので、口真似なのであるが。

我ながら「似てねえ」とツッコミ。

だったら「最初からするな!」とノリツッコミ。

  「おい、喜多郎!!」

それはシンセサイザーだろ!

……などと更なる寒気を感じながらも、

ちょっとだけ楽しかったりする、午後のひと時。

だが、ワタシは鳥肌を立たせる為にここに来たワケではない。

鳥肌を立たせるだけだったら、

お化け屋敷か花やしきの今にも空中分解しそうな、

ジェットコースターにでも乗ってアヘアへ言っていればいい。

無論、今日は、鳥肌を立たせる為でもアヘアヘ言う為でもなく、

事件記録を閲覧する為にやって来たのだ。

ちなみに事件記録とは、その名の通り、

今までの書類・記録を綴ったものであり、

関係各書が束ねられたものを総称して、こう言う。

今日センターに訪問した目的は、その記録を基にして、

今回の主役ともいえる物件――大田区のマンションの一室――

が競売に掛かるまでの経緯と今の占有状況を追うことである。

ウチの会社は、前もって占有者がいるいない程度の確認は取るが、

実地調査をする上で占有者に直接当たることはない。

他の競売参加者の中には占有者に対し、

事前交渉を行うところも多いが――。

従って、占有者が何者なのかは、

実際に落とした後から調査を始めるのだ。

ワタシは閲覧の手続きを済まし、資料が出てくるまで別室で待つ。

資料が手元に来る間、

司法協会のジーさんバーさんの職員が茶を飲みながら、

世間話をしているのを横目にしながら、

ワタシもこう云っただらけきった職場で、

日がな一日だらだらとコピー取りだけをして

無為に時間を過ごしてみたいよ、と思いつつ、待たされること二十分。

漸(ようや)く、事件記録が届けられた。

事件記録は今までの記録の数々が、

ファイルの中に閉じ込められているのでなかなか分厚い。

この分厚い資料には、どんな情報が秘められているのか。

ワタシは、資料を紐解(ひもと)き始めた。

えーと、何々。

債務者である現所有者は、

本物件と同時に自宅もケーバイに掛けられ――。

その後は行方は知れず……。

あー、夜逃げしちゃったのね。

所有者はいないってことだな。

んじゃあ、今は誰が住んでるっていうんだ?

えーと、えーと、この物件を占有しているってのは、

「ウジハラ」なる人物。

ここら辺は入札前に読んだ現況調査報告書にも書いてあったな。

ちなみに現況調査報告書という書類は、

入札に掛かる前の競売物件の状況を特に占有状況について

記載された調査書である。

この「現況調査報告書」と評価人が算出した、

競売物件の評価額の記載されている「評価書」、

そして現況調査報告書と評価書を基にして、

裁判所が一応の判断を下した「物件明細書」を三つを合わせて、

いわゆる「三点セット」と呼ぶ。

ウジハラは、一年前からこのマンションに住み始めた。

何の権原で、こいつは住んでるんだ?

資料をぺらぺらと捲(めく)っていくが――。

……何の権利でここに住んでいるかは書いてない。

賃貸借契約書のコピーも添付されてない。

ウジハラって何者だよ!?

ワタシは事件記録のファイルを閉じた。

今日の収穫はと言えば、ウチの会社が落札した、

この物件の所有者は夜逃げして行方不明だということと、

ウジハラという素性の知れない人間がいるということ。

……。

とりあえず、現場行ってみっか。

ワタシは、トボトボとセンターを後にするのであった。



第三話「株式会社日本エクセレントカンパニー」



目黒本町の民事執行センターで事件記録を閲覧した次の日の午後である。

ワタシは今回の目的であるマンションに向かっていた。

主に今現在の占有状況を調べる為に、だ。

入札前にも一度調査に来たのだが、

その時は外観と共有部分の目視状況、

集合ポストの名札、電気メーターが回っているかどうか、

それだけでそこに占有している人物がいるかいないか、

その程度の簡単な調査しかしていない。

特に呼び鈴を鳴らして、

占有者と会ってどうこうといったことはしない。

入札前に中に居る人間と話して事前交渉というのは、

ワタシはあまりやらない。

事前交渉をしても、 それがよい結果に導くことにはならないのが常だ。

最寄りであるJR駅から徒歩一、二分で到達するそのマンションは、

昭和50年前後に築造されたが、

当時は高級マンションとして一世を風靡した。

一世風靡セピアだ。

よいや、よいや! と下らないことは脇に置いておいて。

そのマンションの分譲主は、過去の時代、羽振りを利かせており、

マンション名にもその名前が冠されているデベロッパーであったが、

今は見る影も形もない。

過去の遺産である自らが分譲したマンションを

細々と管理することで生き残っていた。

ワタシはエントランスの前に立つ。

青い瓦屋根と白い塗り壁の外壁――。

新築分譲時は相当なステイタスを誇っていた、

あのシリーズのマンションである。

だが今となっては自慢の屋根瓦にはヒビや綻(ほころ)びが見え、

白い塗り壁は長年の経過で灰色と化している。

グレードは低いとしか思えない。

それ故に、過去の栄華を考えると今も状況はとても物悲しい。

これも時代の流れだ、流行の変化だ、

と変にしんみりしながらワタシはマンション内に立ち入った。

ちょっとしたアプローチを抜け、マンションに入館すると、

すぐ向かって右手に管理員室の窓口があり、左手に集合ポストがある。

ワタシは管理員に会おうと受付窓口へと向かったが、

しかし、残念ながら不在であった。

「清掃中」というプラスティックの札が窓ガラスに立て掛けてある。

まあ、管理員が戻ってきてから話を聞けばいい。

入札前の調査では、管理員が帰宅した後だったので、

話を聞けなかったからな、今回は現状を聴取しなければ……。

ワタシはそう思い、今度は集合ポストを見た。

……んっ?

前回の調べではポストの表札には、

一切の名前も社名も記載されていなかった。

ピザだの寿司だのラーメンだの中華だの、そして不動産屋だの、

あらん限りのポスティングチラシがぶち込まれていた。

それがどうだ。

今はぶち込まれていたチラシがすっかり取り除かれ、すっきりとしている。

もっともそれはあまりのチラシの多さに管理員が廃棄したのかもしれない。

だがそれ以前に前回の調査と大きく異なっている点があった。

真っ白だった表札にラベルライターで名前が記されていたのだ。

「株式会社日本エクセレントカンパニー」と。

……日本エクセレントカンパニーって何だ?

こんな名前、前回までは掛かってなかった。

同じ表札が記名されているのなら、

裁判所によって占有認定されている、

「ウジハラ」と云う名前で出ているのならまだ分かる。

だけれども、日本エクセレントカンパニーなんて名前、

昨日資料の最初から終わりまでどこをどうひっくり返しても出てこなかった。

もしかしたらウジハラなる人物がその会社に属する人間なのかもしれない。

そうだな。

それが一番分かり易い。

それにしても、恥ずかしい名前だな。

やっぱりアレだよな。

会社に電話が掛かってきて、「はい、日本エクセレントカンパニーです」

なんて答えなければならないんだよな。

いやあ、ワタシには素面ではマトモに言えないぞ。

絶対笑う。

自分でエクセレントなんて言えない、言えない。

「ウチは素晴らしい会社ですよ」なんて社名。

ワタシはしばし謎の会社、

「株式会社日本エクセレントカンパニー」について想いを馳せていた。

だけれどもそんな羞恥心極まりない社名について、

どうこう考えても事態は一歩も前進しない。

それに、今はエクセレントカンパニーなんて名前は脇に置き、

物事の本質を見なければならない。

結局、形はどうであれ、ポストに名札があるということは、

その会社がウチが落札した物件を占有していることをアピールしているのだろう。

いずれにせよ、ここから、追い出さなければならない。

ワタシは今だ見ぬ相手――。

ウジハラだか株式会社日本エクセレントカンパニーだか分からないが

――に対する退去交渉に向けての熱意を新たに持った。

「アンタ、なにやってんの?」

ふと声の方を向くと、モップを持ちゴム手袋をした青い作業着姿のオバサンが

ワタシを胡散臭そうな目で見ていた。

掃除から帰ってきたところ、集合ポストに立ちすくんでいる、

ワタシを不審者だとでも思っているのか。

丁度良いところにきた。

ワタシは訝(いぶか)しげな眼差しのオバサンに言った。



第四話「管理員のオバサンとの会話」



過去の高級マンションは今、庶民のマンションとなっている。

そんな過去の栄光を引きずったマンションのエントランスにて。

「アンタ、なにやってんの?」

ふと声の方を向くと――。

モップを持ちゴム手袋をした青い作業着姿のオバサンが

ワタシを胡散臭そうな目で見ていた。

掃除から帰ってきたところ、

集合ポストに立ちすくんでいるワタシを不審者だとでも思っているのか。

その姿形からして、管理員だろう。

丁度良いところにきた。

ワタシは訝しげな眼差しのオバサンに言った。

「あのう、管理員さんです?」

どこからどうみても、

管理員かもしくは管理員のコスプレをした人にしか見えないが、

コスプレするにしても普通、

管理員のオバサンと云うマニアックなチョイスはしないだろう。

消去法で本物の管理員という帰結。

そんな大層な法則を振りかざさなくてもよいが――。

ワタシの間抜けな質問に対し、オバサンは口にはしていないが

「そんなの聞くなよ、当たり前だろ?」と言わんばかりに大きく頷いた。

それを肯定するのに、言葉にするもの面倒臭い、といった感じだ。

依然として胡散臭そうな目でワタシを見る管理員のオバサンに対し、

ワタシは手を振りながら言った。

「いやいや、ワタシは怪しい者ではありません――」

そう「怪しい人物ほど自分のことを怪しくないという」法則を思い出した。

我ながらアヤシイ。

オバサンもますます不審の色を強め、

手に持ったモップを硬く握り直している。

ワタシをポスト荒らしか不審者とでも思ってるのかもしれない。

もっともそこまで酷い誤解でなくても、スーツを着ているワタシを見て、

押し売りやら飛び込み営業と勘違いしているのかも……。

……いずれにせよ、かなり怪しまれているのは、間違いない。

ここは名刺でも出さないと――。

ワタシは思い出したように上着の胸ポケットから名刺入れを取り出し、

「ワタシ、こう云う者ですが……」とそれをオバサンに差し出した。

オバサンはモップを壁に立てかけ、名刺を受け取ると、しげしげと見る。

「ワタシ、不動産会社の者です。

それでね、管理員さん。

管理員さんもご存知だとは思うんだけど、

このマンションの307号室の件で来まして……」

ワタシはオバサンにも分かり易く、噛んで含めるように言った。

オバサンはふんふんと言っている。

「あのですね。ご存知だとは思うのですが、

その部屋が競売に掛かって、ウチの会社が落札したんですよ。

でね、その部屋の調査にワタシが来たっていう次第で……。

管理員さん、何かご存知じゃないかなー、

と思いましてお声掛けさせてもらったんですけど……」

ワタシの問い掛けに対し、オバサンは大きく頷いた。

管理員はようやくワタシが不審者でも押し売りでも

飛び込み営業でもないことを理解したのだろう。

彼女は、手袋を脱ぎながら、云った。

「よーく、知ってるわよー。

だってとっかえひっかえしてるもん」

「とっかえひっかえですか…?」

……何がとっかえひっかえなのだ?

ワタシが疑問を口にする前にオバサンはその答えを話し始めた。

「そりゃあ決まってるでしょ?

女だよ、お・ん・な。

あの部屋にはさあ、若い女が色々と来ててね。

男も若いのから年取ったのまで年がら年中、出入りしてるけど。

特に若い女はとっかえひっかえだね、ありゃ」

その手の話になると俄然、盛り上がって話す。

なるほど、典型的な話し好きのオバサンだ。

だが、微妙に話が噛み合ってないぞ、これ。

部屋の話題を出したら、

いきなり、女をとっかえひっかえ、とか云われても。

それだったら、一体誰が、女をとっかえひっかえしてるんだ?

「女の人がそんなに多く出入りしてるんですか……。

じゃあ、まだどなたかが住んでるってことですね?」

「そりゃそうよ。

誰かが住んでるから、そこに来るのよ。

女が。

まさか幽霊でもあるまいし。

ただあれね、女だけじゃなくて、男もとっかえひっかえってところだから。

まあ、要するに男も女も、とっかえひっかえ、ってヤツよ!」

オバサンはエントランス中に響き渡る程の声でガハハと笑った。

大して面白くないのに。

「オマエは笑い屋かっ!」と心の中でツッコミを入れる。

それにしても――。

……管理員の話からすると不特定多数の男女が

この部屋へ出入りしているということだ。

では、ここで、何をやってるんだ――?

ワタシは集合ポストに貼ってある、

「株式会社日本エクセレントカンパニー」のラベルを指差し、尋ねた。

「不特定多数の男女が入居している、ということは分かりました。

その大前提として、この会社――日本エクセレントカンパニーって、

管理員さん、ご存知です?」

オバサンはうーんと考え込んで一言「知らない」とだけ答えた。

「……知らないですか。

でもここにこうやってシールが貼られていたってのは、

いつぐらいからですかね?」

オバサンはまたもや考えるポーズをとり、答えた。

「いつ頃だったっけ?

うーんとね、大体三ヶ月くらい前かなあ…」

三ヶ月前から突然の入居とは、

確信犯的に占有しているな、この会社は――。

何が目当てかは一目瞭然である。

即ち、立ち退き料目当てだ。

だとすると、この部屋の経緯は一体どうなっているのだろう?

ワタシはその部屋の住民履歴を管理員に訊いた。

そこには金にまつわる真実があった。

その真実とは――。



第五話「住民の履歴、所有者からそして……」



麗かな春の陽気とは対照的にマンションのエントランスは、

もう春だというのに寒々しかった。

壁にせよ、床タイルにせよ、備え付けのテーブルにせよ、

エントランス内が寒色系の色使いで溢れているのが大きい理由だろう。

夏だとその色が爽やかさに感じるのだろうが、

春だと清涼感を覚えるにはまだ早い――。

それとも、この寒々しさはこれから始まる、

占有者との対峙を先取りしての悪寒なのだろうか…。

ワタシと管理員のオバサンとの会話は続く。

「元々はね……」

噂話をするように管理員は声を潜めた。

「この部屋はハイバラさんっていう夫婦が住んでいたの…」

オバサンはこの部屋における住民の履歴を話し始めた。

身振り手振りを使った、長い話であった。

「まだまだ若い夫婦だったんだけどね。

えっ、住んでいた時期はいつぐらいかって?

アタシがここで管理人をやってもう三年は経っているけれども、

ハイバラさんが引っ越して来たのも、

ワタシがここに来た頃と同じくらいの時期だねえ。

なんか引っ越して来た挨拶にタオルだったっけかな。

そんなの持って来たわよ。

最近じゃアタシもすっかり物覚が悪くなってきたけど、

そういったどうでもいいことは覚えてるのよ。

不思議よねえ……。

えっ、夫婦の年は幾つくらいかって?

アンタも質問が多い人だねえ。

うーん、まだ三十代後半くらいじゃないかしら。

眼鏡掛けた旦那さんと、神経質そうな奥さんの二人で住んでいて。

子供はいなかったみたいだけど……」

管理員のオバサンは思い出し思い出しながら口を開く。

彼女は小柄だからだろうか、ワタシを見上げ話している。

「そうそう、旦那さんが何だっけ。

自分で会社をやってて……。

なんだろ。

コンピューター関係の仕事してるって言ってたかな。

なんか、頭良さそうな顔してたもんね、あの旦那さん。

アタシはよく分からないけど。

今、流行ってるんでしょ? 

コンピューターって。

アタシなんてコンピューターなんて、

テレビくらいしか触ったことないけどね――」

……テレビはコンピューターじゃねーだろ、

とワタシは心の中で軽く毒づく。

それにしても、ハイバラはここを自宅として使っていたのか?

でも、裁判所の資料によると所有者である、

ハイバラはこのマンションではない、

まだ築の浅い大型の3LDKを自宅としていたはずだが……。

「それで去年くらい前かな。

新築のマンションに移るんだって、引っ越していっちゃったの。

何でも会社がエライ儲かったからだって。

まだこのマンションに住んで数年しか経っていないのに、

ホントにもう景気のいい話だねって、

マンションの奥さん方と話していたことを覚えているわよ。

まあ、そういう話。

えっ、その後のハイバラさんのこと?
 
そんなの知らないわよー。

だって、アタシはここの管理人にしか過ぎないんだから。

ここから出て行った人のことまでは管理出来ないわよー」

そう言うと、さも面白そうにオバサンは笑った。

……景気のいい話。

たった前年の、去年の景気の良さは今となっては水の泡、か。

ハイバラ氏の好景気はとうに終わり、

自宅ともどもこのマンションは競売に掛かった……。

ワタシは世の無常を感じた。

「じゃあ、ハイバラさんがこのマンションから引っ越された後は、

部屋はどうなったのですか?」

「ハイバラさんが出て行った後の部屋はねえ。

誰かに貸すのか、それとも売るのかって思ったんだけど、

結局、そのままだったわよ。

そのまま誰も住んでいない状態が続いたわね」

「それじゃあハイバラさんが引っ越した後、誰も住んでいなかった、

とそういうワケですね。

でも、その後、誰かしらこの部屋に入居した、と……」

オバサンは大きく二度三度頷くと、ワタシに顔を近づけてきた。

心なしかタクアンの臭いがした。

「そうよそうよ。しばらく、数ヶ月か、空家だったんだけど、

そこにね、入ってきたのよ。大きな男が――!!」

オバサンは大きいという表現をするのに、両手をバッと広げた。

どれくらい大きいのか分からないが、とにかく大きいのだろう。

彼女は大きいことを盛んにアピールする。

「横も縦もこーんな感じで大きくてさあ。

怖かったわよ。あれはね――」

彼女は自分の頬を人差し指で何度もなぞった。

昔ながらの表現だ。

「――ヤクザよ、ヤクザ!!間違いないわっ!!」

自分のいった「ヤクザ」という言葉に興奮したのか、

ツバを飛ばし喋るオバサンを尻目にして、ワタシは思った。

オバサンがいう、その大柄なヤクザ男が「ウジハラ」なる人物か。

それとも果たして――。



第六話「占有者はヤクザ?」



マンションのエントランスに管理員のオバサンの声が響き渡る。

「――ヤクザよ、ヤクザ!!間違いないわよっ!!」

このタイミングでたまたま入ってきた郵便局員も

彼女の興奮した声に驚いた表情を見せた。

だが彼がそんな表情を見せたのは一瞬で、

また元の表情に戻ると自分の職務を果たすべく、

集合ポストに手際よく郵便物を投げ込むのであった。

「ヤクザ、ですか――。

あの、ひとつ訊きたいのですが、

その人はウジハラといった名前ではないですか?」

その人物は、ウジハラかどうか――。

ワタシにとってみたら、

その占有していた人間がヤクザかどうかはあまり関係がない。

裁判所の書類に登場していた本物件占有者とされている、

ウジハラかどうかの方が問題なのである。

その職業に関してはあくまでも副産物だ。

刺身で言うなら、大根のツマだし、ステーキで言うなら、

ニンジンの添え物みたいなものである。

メインの存在の方が遥かに大きいのだ。

だがワタシの意図とは違い、

彼女は「ヤクザ」という言葉のみに執着するように答えた。

「――ウジハラってのは聞いたことがないわね。

入居届けは出してないし、表札も無いし……。

そいつの名前は分からないけど、とにかくヤクザよ、ヤクザっ!

その証拠にあんな人相が悪いのに普通の職業は勤まらないわよ!」

……。

人相が悪いから、ヤクザと決め付けているのか?

確かにヤクザってのは顔も商売道具のひとつだから、

怖い顔であればある程、箔がつくものではあるが――。

だけれども、ただそれだけでヤクザであると決め付けるのも、

如何なものか。

「それにしても、顔が怖いから、ヤクザですか?」

オバサンは自分が断定しているのにも関わらず、

ワタシがいまいち「ヤクザ」というキーワードに乗ってこないことに

幾分ムッとしたようだ。

「あんな怖い顔をした人間は、ヤクザに決まってるわよ!」

……人相ひとつとって、

堅気の職業が勤まらないとは大きなお世話である。

しかしワタシがそう感じたことをストレートに言ってしまうと、

それこそ話が終わってしまう。

このオバサンも重要な情報源のひとつだ。

それを怒らして潰してはいけない。

多少は気分をよくしてやるか。

「――うんうん、確かにヤクザなんでしょうね」

ワタシはオバサンの話に乗るように、ひとつ相槌を打った。

彼女はそれに満足するかの如く、言葉を重ねた。

「そう、ヤクザよ、ヤクザ。

だって、物騒な話もしてたしねえ――」

……物騒な話とは、一体何だ。

ワタシは彼女に訊いた。

「――物騒な話、ですか?」

「そうよ、物騒な話って、アレよアレ。

ほら、そこのロビーで――」

彼女はエントランスの片隅にある、ロビーセットを指差す。

寒々しい色のソファーとテーブルだ。

それにしても、このオバサン、まだゴム手袋を手に嵌めている。

先程もゴム手袋の手で名刺を受け取ったが、

それこそ如何なものか、

目の前の相手に対して失礼に当たらないのか――。

ワタシは指差す彼女のゴム手袋を視界に入れ、

そんなことを想起した。

我ながら随分と時間を経た後の憤りである。

もっとも彼女はワタシの感じている今更ながらの憤りになど、

気づくことなく、ロビーセットに目を向けたまま話を続けた。

「お金の話をしてたわよ。

私が近くの管理人室にいるってのにさ。

貸した金がどうこうとか、ハイバラのガキがどうのとか。

これを売りつけないとな、とか――」

――金の話をしていた?

話をするのに、ひとりではなかろう。

彼以外の誰か相手がいるということだ。

話し相手がいないのにも関わらず、口を開いていたら、

それこそ独り言多き徘徊老人だ。

もちろん、他人には見えない誰かと交信している可能性も

無きしもあらずではあるが……。

そんなヤクザは嫌だ。

「金の話をしてたんですか。

売るとか、何を売ろうってんでしょうかね。

――それはそうと、誰かと話してたんですよね?」

「そうそう、あのヤクザの大男がね、話してた相手ってのが、

対照的にほっそりと細い男でねえ。

その相手ってのは、アレに似てたわよ。

誰だったっけ……」

そういうとオバサンは考え込んでしまった。

「誰だったけかなあ……。

アレよ、アレ。

ダミ声のねえ……」

ワタシは相手が誰に似てるかなんてことは、

大した意味がないと思ったので、

その旨をオバサンに伝えたのだが……。

「あー、ちょっと待っててよ。

いいから、いいから。

今思い出すから――」

――と言ったきり、またもや考え込むオバサン。

「あー、もういいよ。別に誰に似てようが」という言葉が、

ワタシの喉元まで来たその時だった。

彼女は思い出したことが余程嬉しかったのだろう。

今日一番の明るい口調で言ったのだった。

「そうそう、思い出したわよっ!

昼メロの温泉ドラマで、支配人やってた人に似てたの!

ダミ声の、はるちゃんを苛める役の――。

そうそう、『はるちゃん』の支配人!

――って、『はるちゃん』知ってる?」

……知らねーよ。

そんなオバサンの話を適当に聞き流していたのであるが――。

その後、彼女の言う『はるちゃん』の支配人似の男と血で、

血を洗う死闘を繰り広げるとは、

この時のワタシには知る由もなかったのである……。



第七話「大きな矛盾」



結局、管理員のオバサンの話から分かったことは――。

1.ウチの会社が落札した307号室の所有者であるハイバラ氏は、

三年前に出て行った。

2.今現在、占有者がいる。

3.占有者は日本エクセレントカンパニーという会社である。

4.部屋の出入りは激しく、女も男もとっかえひっかえである。

5.以前の占有者はヤクザであり、大男であった。

6.そのヤクザは裁判所資料である、

現況調査報告書に登場するウジハラであるかどうかは不明であるが、

その可能性は高い。

7.そのヤクザとロビーで話していた男は、

『はるちゃん』に出てくる支配人に似ている。

……いやいや『はるちゃん』の支配人に似ているって言われても。

心の奥ではそう思っていたため、

ワタシはこの部分を話半分に聞き流していた。

だがしかし、彼女が見た、

ヤクザと話す支配人面をした人物とワタシとの間に遺恨が残ることになるとは、

今の段階で知る由もなかった……。

管理員から手に入れられる情報はこんなものか――。

「それはそうと、マンションの人からも苦情来てるのよ、

307号室がうるさいって。

隣の306号室の奥さんからなんだけどね。

でも、その奥さんちだって、子どもがまだ小さいからドタドタと走り回ってるって、

下の階の奥さんから――」

ワタシが話を止めないでいると彼女は徐々に本題からそれ、

マンションの管理に関する愚痴――

部屋の中で子どもが走り回ってうるさい、ゴミの出し方が悪い、

ベランダで布団を干している世帯がある――から始まり、

マンション住民の噂話――。

あそこの奥さんは細かいことをぐちぐち言っている、

あそこの主人は挨拶すらしない、常識が無い――

などという全く見当違いの方向へ話を持っていくのであった。

ワタシは苦笑しながらオバサンの言葉を遮った。

「分かりました。

大変参考になりました。

ありがとうございます」

管理員のオバサンはまだまだ話し足りなさそうではあったが、

これ以上話しても有意義な情報を得られそうになかったし、

こちらもそんなにはヒマではない。

極度のオバサン好きだったら、

それはそれでシアワセを感じ取れるのだろうが、

ワタシにその気はない。

「ちょっとマンションの中に入らせて貰いますよ」と言い残し、

ワタシは当該号室へと向かった。

向かうはもちろん307号室である――。

エレベーターを降りると向かって右手に向かうと、

目的地はすぐであった。

ワタシは307号室の玄関ドアの前で仁王立ちする。

表札には――。

日本エクセレントカンパニーと書かれたシールが貼られていた。

白地にピンクの文字で印刷されたそれは、

ここを占有する正当な権利を持つものは、

自分だと言わんばかりに光を放っていた。

光を放つというよりも、闇を放っている、か。

その玄関ドアの隙間からドス黒いオーラが漏れ出ているかのように思えた。

ワタシはドアのインターフォンのボタンを押す。

――誰も出ない。

ワタシはもう一度、インターフォンを鳴らす。

だがやはり誰も出なかった。

今日は誰もいないのか。

この部屋を占有しているのは一体何者だろうか。

日本エクセレントカンパニーとは一体どんな会社なのだろうか。

ドアの隙間から流れ出る、

その闇の気がますます強く暗くなっているように思えた。

それにしても――。

以前、ここに調査に来た時は集合ポストと同じく、

表札にこんなシールが貼られてはいなかった。

大体、ワタシが調査しに来たのはそんな昔ではない。

入札する一週間前くらい前のことだから、

今から考えて多めに見ても一ヶ月前のことだ。

物件の調査については、人により、

また会社によりそれぞれのやり方があるだろうが、

ワタシのやり方は至って簡単だ。

占有者に関する調査は単純に表札確認、

メーター確認をする程度でそれ以上に、

マンションそのもののグレードや設備の調査を重視する。

決して落札前に占有者と直接コンタクトを取ることは無い。

――あっ!

ワタシは、ここで大きな矛盾が生まれていることにハタと気が付いた。

管理員と話しているときに、

何故こんな簡単な矛盾に思い当たらなかったのだろう。

これはワタシの不覚ともいえた。

果たして、その矛盾とは――。



第八話「第三の可能性」



「日本エクセレントカンパニー」なる表札が出ている307号室の前にて。

ワタシは大きな矛盾にハタと気が付いた。

――その矛盾とは。

管理員のオバサンによると集合ポストに、

日本エクセレントカンパニーのラベルシールが

「三ヶ月前」には貼ってあったとのことであるが、

ワタシが「一ヶ月前」に調査をしに来た時には、

そのシールを見掛けることは無かった、ということだ。

そして今、ここに日本エクセレントカンパニーのシールが、

表札代わりに貼られている――。

これがワタシの気が付いた矛盾である。

ではこれにどのような意味があるのだろうか。

その可能性を考えてみる。

まず、単純にワタシが見落とした可能性を考える。

調査時には名前が書かれていた。

――いや、これは入札する物件だ。

しっかり調査はする。

仮にこれがもっと小さく目に見えにくいものであったら、

見落とした可能性も非常に高まると思うが、モノは肝心要の表札である。

間の抜けたワタシであったとしても、流石に名前を見落とすことはない。

次に、管理員の記憶違いという線はどうだ。

実際には三ヶ月には貼られてはいない。

――いや、この管理員が昨日今日着任したということなら、

まだ分からないでもないが、彼女はこのマンションの管理員暦三年の、

云わばベテランである。

しかもあれだけ、隣の奥さんはどうだとか、

ここの主人は挨拶がないだといった、

マンション内の事情に通じていることからも、

マンション内の変化には敏感なはずだ。

故に集合ポストの変化に気が付かないワケがない。

三ヶ月前という彼女の言葉には多少のズレがあるとしても、

問題になるような程、大幅なブレではないだろう。

だとすると……。

ワタシは第三の可能性を考える。

そして――。

ワタシが三つ目の可能性を模索していたその時だ。

隣の306号室から、齢にして四十手前だろう女が出てきた。

306号室、隣の部屋から出てきた女――

恐らく管理員のオバサンの話にも出てきた奥さんであろう。

彼女は時折307号室がうるさいと苦情を申し立てているとのことだ。

彼女は胡散臭そうにワタシを一瞥(いちべつ)すると、鍵を掛けようとしていた。

ワタシはふと、そんな目つきを喰らったのは、今日二回目だなと思った。

ワタシは気を取り直し、奥さんに話し掛ける。

彼女はやはりいかがわしそうにこちらに顔を向けた。

「……はい、なんですか?」

「いや、ワタシ、決して怪しいものではありません。実は――」

怪しくないという人間こそ、

本当に怪しい人間であるというセオリーを無視した台詞を述べ、

ワタシは手短に事情を説明し、日本エクセレントカンパニーについて尋ねた。

彼女は依然として不審の目をしたままで――。

「うるさいんですよ!」とだけ言った。

こちらに対して敵視していること、ありありな発言である。

「……いや、うるさいって言われましても」

――別にワタシが騒いでいるワケではない。

ワタシがこの会社について逆に尋ねているのだ。

大体、人の話をちゃんと聞いてるのか、このオバサンは。

「毎晩毎晩、夜の12時に帰ってきて、大勢でガタガタガタガタ騒いで。

こっちにはまだ小さい子がいるんですよっ!」

「いや、あの、騒いでいるのはワタシでは――」

「だってアナタの会社がこの307号室の大家になるんでしょ!?

だったらこちらも前もって強く言っておかないと、

アナタも本気にならないでしょ。

当たり前の話じゃないっ」

――本気って、そんなこと言われても。

ワタシは反論しようとしたのだが、彼女はそれを遮った。

ついで「急ぎますので」という一言を残し、

ハイヒールの音を響かせ去っていったのであった。

何だかワタシは少しやるせない気分になり、無性に煙草が吸いたくなった。

もっとも、ヘビースモーカー並みの勢いで煙草は吸わないので、

禁煙パイポでもいい位ではあるが。

とにかく、この気持ちの悪い思いを抑えるためにも、

何か口に咥(くわ)えたかった。

取り残されたワタシは再度、307号室のドアチャイムのボタンを押す。

部屋の向こう側で、

チャイムの音が鳴っているのが微かに聞こえるのであるが、

やはり誰も出てくることはなかった……。

そしてチャイムの残響を耳にし、ワタシは思った。

第三の可能性を――。



第九話「貼って、剥がして、また貼って……」



ワタシは帰りの電車に揺られていた。

結局、307号室のマンション住人と話すことは出来なかったし、

会うことすらままならなかった。

しかし全く収穫が無かったという訳ではない。

特にマンション管理員のオバサンと307号室の隣に住む主婦から、

占有者情報を聞けたことは救いであった。

これで占有者について微塵も掴めなかったら、

わざわざ時間と交通費を掛けて当該マンションへ行った意味がない。

それこそ、ワタシの立つ瀬もなかっただろう。

まだ夕方の帰宅ラッシュ時に差し掛かっていないこともあって、

ワタシはシートに座ることが出来た。

たったそれだけのことではあったが、疲れた体を少しは休められるので嬉しい。

ワタシはシートにもたれ、軽く目を瞑(つむ)った。

今日入手した情報を整理し、考える。

そう、ラベルシールの謎を――。

三ヶ月前にあった「株式会社日本エクセレントカンパニー」のラベルシールが、

ワタシが調査をしに行った一ヶ月前にはなかった。

だが、今日の時点ではそれが貼られていた。

これは如何なることなのだろうか。

集合ポストにラベルが貼られていたことを調査の際に見落としてはいない。

これは絶対に間違いない。

だとすると管理員のオバサンが――。

――あ、しまった。

隣の主婦とせっかく会ったんだから、

この件に関しても聞いておけばよかったな。

まあ、いい。

もっとも管理員のオバサンの記憶違いということでもなさそうだ。

――だとすると、第三の可能性は一体。

あまり深く考えても頭の中がこんがらがってパニックになるだけだ。

深呼吸のひとつでもしつつ、単純な発想をしてみよう。

そして、しかる後得られたシンプルな結論。

それは、三ヶ月前に貼られていた「日本エクセレントカンパニー」のラベルを

何者かがワタシが調査する一ヶ月前には外し、

また再度何者かがラベルシールを一週間前に貼ったということだ。

貼って、剥がして、また貼って……。

灯台下暗し。

当たり前過ぎる程、当たり前の帰結。

それこそ小学生でも思いつくだろう。

そう、小学生には分かる。

だけど当たり前過ぎて大人にはなかなか思い浮かばない、

といったところか。

だとしても、この一連の行為には何か意味があるのか――?

貼って、剥がして、また貼って……。

この時のワタシには、その問いに対する答えが見つからなかった。

貼って、剥がして、また貼って……。

電車に揺られ揺られていたワタシは、

子守唄のようにフレーズを繰り返した。

貼って、剥がして、また貼って……。

貼って、剥がして、また貼って……。

安らかなる子守唄に、いつしか寝入ってしまった……。

下車駅を寝過ごしたワタシは、予定時刻より大幅に遅れ帰社した。

とりあえず、調査に熱が入りまして、

などというワケの分からぬ理由を創り上げて、

社長より怒られるという難を逃れた。

危ないところだった。

自席に着いたワタシは早速、

電話帳を引っ張り「日本エクセレントカンパニー」を調べた。

……が当該地でハローページに乗っている訳もなく、

隣接区を含め同一社名で調べてみたが、徒労に終わる。

次に文明の利器を使わない手はないとばかりに、

インターネットでも検索したものの、ヒットなし。

全くといっていい程、かすりもしなかった。

――打つ手なし、か。

やはり足で稼ぐしかない、

なんてワタシは事件を追う刑事のような心境に至った。

そうだ、はみだし刑事情熱系だ。

そう何事も情熱やっ!

ワテはミナミの帝王になるんやっ!!!

よーし、やったるでぇぇぇぇ!!

刑事になったり、ミナミの帝王になったり――。

明らかにワタシの目指すべきベクトルの向きは違ってはいたが、

この時ワタシは日本エクセレントカンパニー打倒に向けての、

大きな決意を確固たるものにした。

春麗らかな、穏やかな日であった……。



第十話「張り込み」



謎の会社――株式会社日本エクセレントカンパニー。

その会社がそのマンションを占有している事実

(もっともどのように占有しているのか詳細は分からないが)

を知ってから十日が経過した。

しかし、依然として相手側からの連絡はなく、事態の進展はなかった。

もちろん、その間、何もせず、手をこまねいていたワケではない。

まずは相手方にウチの会社が落札したお知らせを送った。

通知の郵送は相手とコンタクトを取るための最初のお約束である。

もしかしたら、相手方は郵便物をそこで受け取らず、

転送している可能性もあるだろうが、

郵便物は宛先不明で戻っては来なかったので、

いずれにせよ相手方に届いてはいるだろう。

だが、幾ら待っても何の返事もなかった。

こちらから如何にアクションを起こしていたとはいえ、

占有している会社から連絡を貰わなければ、

交渉のテーブルにすら着くことすらままならない。

だからワタシは、次なる手段として後日ワタシは再度時間を変えて訪問をした。

前回の訪問は昼下がりの時間帯だったので、今度は夜にした。

夜だったらいるだろう。

その日――。

ワタシは他の仕事を終えた夜9時過ぎに、そのマンションに到着。

早速とばかりに307号室のチャイムを鳴らすが――。

しかし、玄関ドアが開くことはなかった。

そういえば……。

ワタシは思った。

隣の306号室の奥さんが言ってたな。

「毎晩毎晩、夜の12時に帰ってきて、大勢でガタガタガタガタ騒いで」いると。

さすれば、この部屋を占有している人間にとって、九時というのは宵の口。

家に帰る時間ではないってことか。

――占有している人間がどういう人物なのか分からないけれども、

まずは積極しないと話は始まらない。

仕方がない。

待ってみるか。

あ、そうだ、その前に。

もちろん、張り込みといえば、アンパンと牛乳が昔からの定番だ。

ワタシはそれを買うべく、一旦、マンションを離れ、

近くのコンビニへ買出しに出掛けた。

買ったものは、アンパンと牛乳、ついでにアンマン。

アン繋がりで、心に平安が訪れますように、みたいな。

これってオッサンみたいな駄洒落だな。まあ、いいか。

心の安泰への願いを込めつつ、マンションへ戻ったワタシは、

部屋の玄関を遠くから見ることが出来るポジションである、

非常階段口での張り込みを開始した。

もしかしたら、コンビニへ行き、

眼を離した少しの間に戻ってきた可能性もあるかな、

とインターフォンの呼び鈴を鳴らしたが、

部屋の中には人のいる気配の欠片もなかった。

張り込みから、十分経過――。

変化なし。

張り込みから、三十分経過――。

変化なし。

あ、そうだ。

とりあえず、さっき買い込んだアンパンと牛乳でも食っておくか。

せっかくの張り込みだし。

張り込みには張り込みのスタイルというか美学があるというものだ。

……ううむ、アンパンと牛乳は合うが、

冷めたアンマンは食えたものではないな。

張り込みから、四十五分経過――。

変化なし。

張り込みから、一時間経過――。

あ、なんか制服着た女子高生を発見。

エレベーターからこちらの方に向かってるぞ。

あ、眼が合っちゃったよ。

ええ、なんか怪訝(けげん)な顔してるし。

いやいや、お嬢さん。

ワタシは通りすがりの競売業者で決してアヤシイ者では……。

だから、そんな顔するなって。

不審そうな顔をするなって。

小走りに玄関ドアに向かうなって。

305号室か。

だから「ママぁ〜、なんかヘンな男が外にいる〜」とか大声出すなって。

バタンと大きな音を立てて、玄関ドアを閉めるなって。

近所迷惑だろ。

近所迷惑っていうか、それ以前にワタシに迷惑だろ。

ほら、一応、探偵みたいに張り込みしてるんだから。

張り込みっていったら、目立たず行わないと。

そんな大きな声を出されちゃうと、目立って仕方ないだろ。

って、305号室の玄関ドアが開いて――今度はオッサンが出てきたぞ。

草野仁みたいなオッサン。

見た目はソフトなのに、体はマッチョだったりするんだよな……。

その後に奥さんらしきオバサンと、

さっきの女子高生が背中に隠れるようにして様子を伺っている。

って、そのオッサンがこちらに向かってきたぞ。

へええ?

いやいや、ワタシは決してアヤシイ者ではなく――。

何やってるんだって?

それは職務上、教えることは出来なくて。

変質者が多い?

変質者かって?

そんなこと言われても。

だったら、何をしてたかって?

ですから、それは職務上の機密で、教えることが出来なくて……。

あ、痛たたたたた。

いやいや、ウソウソ。

教えるから、教えますからあんまし話を大きくしないで下さいよ。

そんな袖口引っ張らないで下さいよ。

スーツ伸びちゃいますよ。

痛たたたたたたた。

ワタシは決してアヤシイ者ではなく――。

お父さん、ワタシは別に娘さんをどうこうとか――。

かくして、ワタシの張り込みは見事に失敗に終わったのであった……。



第十一話「電話」



それにしても、散々な目にあった。

結局、夜の張り込みは隣人の妨害により、幕を閉じた。

もっとも妨害というのは、こちらの言い分であり、

隣のオッサンはオッサンで、

不審者から自分の娘を守ろうという大義名分があったのだが――。

ワタシは事情を説明し、

ようやく冷静になった女子高生の父親から話を訊くと、

どうやら彼の娘は以前からストーカー被害にあっているとのことだ。

つい先日も、いかにもストーカー面をした長身の男が彼女に付きまとい、

このマンションまで追ってきた。

そういった経緯があったものだから、

不審な男がいると声を上げて帰ってきた娘を目の当たりにし、

とうとうストーカー野郎がマンション内部にまで入ってきやがったか!

とばかりにバンと玄関ドアを開け、

近くにいたワタシを変質者だと思い込んでしまった、

とオッサンは頭に手を置き、申し訳無さそうに語った。

普段のワタシだったら、その程度の謝罪で

「はい、分かりました」とはいえない性質なのだが、

今回の場合、許せないのはストーカー男であり、

このオッサンは悪気があって、ワタシに向かってきたのではない。

よくよく考えてみなくても、

こんな夜中にマンションの片隅でただただ突っ立っている男を見たら、

そりゃあ、ストーカー騒ぎにあっていなくてもアヤシイと思うよなと、

不審者呼ばわりされたことも納得したワタシであった。

それに、オッサンも女の子の父親として、

必死に娘を守ろうとしていたのは疑いのない事実だろう。

ワタシは「分かって貰えれば、それでいいです」とオッサンに言った。

オッサンはやはり申し訳なさそうであった。

だけれども、「でも、よく見たらほっそりとした長身の男じゃないもんな……」

と最後にポツリとオッサンが漏らしたのは、ちょっとムッとした。

不審者騒ぎが終わったのは、まだ午後10時半近くだった。

その後も張り込みを続けようかと思ったが、止めた。

一度ケチがついたら、一旦断ち切らなければ――。

次の日のことである。

ワタシが社内で別の案件でデスクワークをしていた時のことである。

一本の電話がワタシ宛に掛かってきた。

「誰からの電話?」と取り次いだ者に訊いたが、

「早口だったのでなんといったか分からない」との心もとない答え。

この手の商売をやっていると、よく分かるのであるが、

電話ひとつも侮れない。

いや、電話だからこそ、難しいし、

気をつけなければならないものはない、とも思う。

相手が見えない分、それだけ電話対応は難易度が高い、ということだ。

それに、誰から掛かってきたのか、

それを分かった上で電話に出るのと出ないのでは心構えが違う。

たかだか電話に出るまで数秒かもしれないが、

この数秒で心を通常モードから交渉を行う体制に整えることだ出来るのだ。

ワタシは少しムッとし、「じゃあ、もういい」とばかりに電話に出た。

多分、電話を取り次いだ社員は何故、

ワタシが少々腹立たしそうな顔をしたのか分からなかったのであろう。

彼は、なんだかきょとんとした顔でワタシを見ていた。

電話の主は男であった。

開口一番、男はワタシに言った。

「ああ、私、エクセレントカンパニーのドイガキというものなんですが――」



第十二話「アポイントメント」



ドイガキと名乗るその電話の声は、

推定五十代の前半といったところだろうか。

そろそろ初老に差し掛からんとするであろう、

その男はワタシの返答を待つことなく、自分の話の続きを急いだ。

「ああ、ヒガシタニさんですよね。

――それで手紙を貰ったので、そちらに電話をしたのだけれども」

「それはどうも。それでは――」

ワタシは彼に返答の言葉を掛けようとした。

しかし、男はそれを止めるように声を被せてきた。

彼には相手の言うことになど興味がないのだろうか。

もしくは、自分はメッセージを伝えるためだけに電話を掛けたのであって、

ワタシの言葉に声を返すこと出来ない立場である、ということだろうか。

いずれにせよ、その答えは近いうちに分かるだろう。

ただここで言えることは、ドイガキは明らかに急いていた、ということだ。

彼の声は段々と早口になっていったことからも、それが分かる。

「あ、いや、こちらが話をしているので。

とにかく、お宅が落札されたということは分かりました」

「ただ――」と彼は続けた。

「ひとつ言えることは、

ウチの会社がこのマンションを社宅にしているのですが――」

「それで、なんでしょうか」

ワタシは無理に相手の話を遮断することなく、

まずは相手の言い分を聞こうと思った。

こちらの言い分は相手の後に幾らでも喋ることが出来る。

ドイガキはワタシの相槌を受け、電話で結論を述べた。

彼は電話ではこの占有についての核心を述べる気、

もしくは述べる決裁権を持っていないようだった。

「ああ、まあ、ここには色々と問題がありまして。

それで、一度、会って話した方がいいかな、と」

ワタシも会って話すこと自体に異存はない。

すぐさまOKする。

それで時間と場所は――?

「明日の午後一時、××駅の近くの、喫茶店でどうでしょうか?」

××駅とはマンションのある最寄り駅から二つ先の、

山手線も停車するターミナル駅だ。

この駅の周りはといえば、

最近、富にビル開発が進み、ビルの高い峰を連ねている。

もしかしたら、今日の明日とはとても急なアポのようにも思えるが

どんな話であれ、先延ばしにしていい話などこの世に無い。

明日のその時間は、不動産業者と会う約束があったが、

どちらを優先させるといったら当然、占有者の方である。

ワタシはあの不動産業者に時間の変更をお願いしないとな、と思いつつ、

ドイガキのセッティングした時間と場所、

そして喫茶店の名前を聞き、それらを了解をした。

そして、ドイガキにエクセレントカンパニーの連絡先として、

電話番号と住所を聞いた。

彼が述べた電話番号と住所は、

東京のそれではなく、神奈川県のものであった。

ワタシはそれを回りにあった紙の切れ端にメモした。

ドイガキは、自分の仕事を終えたとばかりに

「それではまた明日」と一言述べるとそのまま電話を切った。

ワタシも受話器を戻す。

ひとつ大きく息を吸い、それをまた大きく吐き出した。

明日は、エクセレントカンパニーの正体を暴いてやる!!



第十三話「ファースト・コンタクト」



駅前はスーツのサラリーマンや制服姿のOLの往来で占められていた。

さすがはオフィスビル街である。

飽きることなくビルを建てた甲斐があったというものだ。

オフィスビルの需要? 古いビルからこっちに移ってくればいいだろう?

そりゃそうだろ?

オフィスビル問題?

いやいや、そんなもんは古い中小ビルオーナーが倒れてくれればいいだけ。

こちとら大企業様が建てたビルにだけ店子が入ればいい訳。

実際のところ。

そうでしょ、それがこの国の民主主義であり、

資本主義のあるべき姿ってもんよ――。

大手ディベロッパーがこれまた大企業と組んで開発したビル街を見ると、

真新しいビルのどこかしこから、

大企業の論理というか本音が聴こえて来るようだ。

この国の景気は、

大企業が中小零細企業を食い散らかすことで再興しているのだ、

という実感も沸いてくるような感じがした。

日本経済とビル街との関係を考察する一方、ワタシの心の片隅では、

「やっぱり、どうせ働くならデーンと大きく建った、

受付のおねーちゃんがいるようなオフィスビルで働きたいがな。

まあ、立派なビルじゃなくとも、やっぱり受付のおねーちゃんが……」とも思う。

というか、ワタシの中で重きを成しているのは、ビルや建物自体ではなく、

どうやら「受付のおねーちゃん」らしい。

ワタシの心のランキングにおいて、

おねーちゃんの前では日本経済やら資本主義も形無し。

仕方ないだろう。

それが男の性(さが)というものだ。

ワタシは駅の階段を降りると、バスターミナルに面した喫茶店に向かった。

昼過ぎだからであろう。

通り過ぎる先々の飲食店からは、サラリーマンやOLの群れの出入りが激しい。

こちらはまだ昼を食べていなかったから、

爪楊枝を口にくわえて歩く中年サラリーマンの光景が少々、恨めしかった。

その喫茶店は、今時のコーヒーチェーン店であった。

待ち合わせ時間五分前に、中に入ると流石は駅前という立地。

割と賑わっている。

今日会うアポイントを取った日本エクセレントカンパニーのドイガキなる人物は、

ねずみ色のスーツを着ている、とのことだ。

彼の容姿に関して、

ワタシが持っている情報らしい情報といえばそれだけであり、

それを基にして彼を探し出そうと思った。

だが、店内のほとんどの客はサラリーマンであり、

同じようなスーツの色ばかりだ。

誰が誰だか分からない。

もっとも、ワンフロアで収まっている点だけは目的の人物を探す上で、

救いだった。

きょろきょろと辺りを見渡しながら店内を巡ること二週目。

窓際のテーブルの近くに陣取る、中年男と目が合った。

ブレンドに手をつける事無く、腕組みをしているその男は、

周りと比べると、明らかに目つきが悪い。

のほほんと仕事をサボっている営業マンや堅気の商売の話をしている男達とは、

あからさまに雰囲気が違っていた。

殺気だってるとまではいかないが、

やはり異質な存在感を感じずにはいられなかった。

――この男だ。

ワタシは直感的にそう思った。

この男が、ワタシの交渉相手である、ドイガキだ、と。

相手も、店内をうろうろとしているワタシが

自分の会うべき人間だと気付いたのだろう。

こちらの方をまじまじと見ていた。

ワタシは、彼に挨拶するように、手を向けた。

「あの、ドイガキさん、ですか?」

問い掛けに対し、彼は同意するかの如く、少し頷いた。

この男と、これから交渉をするのだ。

ワタシは彼の前の椅子を引いて、ゆっくりと腰掛けた。

「ワタシが、昨日電話で話しました、ヒガシタニです」

ああ、とだけ答える彼。

ふてぶてしい表情のまま、ワタシを見据え――。

そして、開口一番、彼はこう言ったのだった……。



第十四話「何も分からない男」



開口一番、彼は言った。

「往々にして、こちらとしてもどうすればよいのか分からんのだよ。

お宅からのいきなりの手紙でしょ?

こちらとしても、それについてどう対応すればよいのか、ねえ」

目が痒いのだろうか、右手の人差し指で右目を掻きながら、彼は言った。

それにしても、本題に入る前にいきなり、分からない、と来たものだ。

彼や彼の会社――日本エクセレントカンパニーが、

今の状況について本当に分からないのか、

それとも素っ呆けているのか……。

いずれにせよ、状況を不明だと言っているのだから、

その説明を行うことにする。

今の状況――。

すなわち、今、ウチの会社が落札した区分所有マンションに、

日本エクセレントカンパニーが占有をおこなっていること。

ウチの会社が落札したのは、賃貸目的ではないこと。

したがって、占有者には早々の退去を求めるということ――。

噛んで含めるように話す。

出来うる限り、分かり易く。

でも、退去しなければならないという点は、断定的に伝えた。

「……ということなんですよ。

今の状況というのは――」

ドイガキはワタシが喋る言葉には全く興味がない、

というようにバッサリ切った。

「いやいや、そういうことを幾ら言われても、ね。

よう分からないということには変わりがないから」

「……」

以後、しばらくの間この繰り返しとなる。

……分からない、分からないって。

一体、こいつは何をしに来たのだ?

意味がないだろう。

こんな調子では話し合いにも何にもならない。

「……あの、ワタシの話す言葉が分からないのですか?

それともワタシの話す内容は理解するものの、

それが何を示しているのか、分からないってことですかね?」

もし前者のことが分からないということであれば、

それはこの男個人の日本語読解能力が足りないということだ。

それこそ、小学校から国語をやり直せと言いたいところだ。

それとも、後者が分からないということなのだろうか。

それだったら、もっと状況を理解している人間を交渉に寄越すことが、

少なくとも自身が占有している会社としての責務であろう。

いずれにせよ、日本エクセレントカンパニーという会社は、

ロクな人間がいないロクな会社ではない、ということに間違いなかろう。

それとも――もっと性質が悪いのだろうか。

要は状況をすべて理解しておきながら、分からない振りをして、

こちらの情報や条件の提案を探ろうとしている、ということである。

さあさあ、どうなんだ、ドイガキ!

ドイガキはワタシの問い掛けに、平手で頬を掻き掻き――。

しばし考えていたが、うーんと唸るとこう答えた。

「……まあ、ヒガシタニさんだっけ?

結局、俺にはお宅の話が分からん、ということだよ」

「……」

……ダメじゃん!

前者の理由じゃん!

この人、日本語分かってないじゃん!

小学生の国語からやり直すべきじゃん!

日本語を分からない人間とどうやってコンタクトすればいいんだ?

話し合いを進めればいいんだ?

占有者交渉の壁にいきなりぶつかる、追い出し屋Gであった……。



第十五話「もっと重要な話があるだろ?」



――俺にはお宅の話が分からん。

交渉の最中、相手側からそのような発言をされた場合、

どのように答えを返せばいいのだろうか。

これが小学生の遊びだったら、まだいい。

話が分からない、ルールが分からないなんて、

えへへへと涎(よだれ)や鼻水垂らしながら言われても、

笑って済ませることが出来るだろう。

だけれども、これは遊びではない。

お互い大人同士、商売の話なのだ。

大きな金の掛かったビジネスなのである。

そのビジネス上の交渉でこのような発言をされたら――。

しかも、手取り足取りとまではいかないものの、

こちらとしては必要最低限以上の、

十分過ぎる程十分な説明はしてある。

それにも関わらず、目の前のこのオッサンは分からないと、

厚顔無恥さを隠すことなく、言っているのだ。

むしろ、分からないということに胸を張っているようにも見える。

ワタシは思った。

彼は、一体、今まで何を考え、何をして生きてきたのだ

確かに人間、何事にも精通しているなんてヤツは然程はいない。

しかし、分からないのなら、

分からないなりの態度というものがあるだろう。

彼みたいな輩を目の当たりにすると、

ギトギトの油で揚げたかき揚げを食べた後の如く、

胃がムカつくこと、この上ない。

それこそ吐き気すら覚える。

揚げ物くらい、新鮮なヘルシー油でカラっと揚げろ!

だが一方でワタシは、他の想像を巡らせもした。

それともなにか――。

これは彼一流の計算し尽くされた演技なのか?

惚けた振りをしている、腹黒い狸オヤジなのだろうか。

ワタシは、うーんとひとつ唸った。

「……ドイガキさん。

それだったら、もう話が終わってしまいますよ」

ついでに「日本語の勉強を小学生に交じって勉強しなおしてこいよ!」

と語尾に付け加えようとしたが、それは抑えた。

こんな雑魚キャラ相手に、

堪忍袋の緒を切らすまでには至っていないだろう。

まだ時期尚早だ。

喧嘩するのはいつでも出来る。

ドイガキはといえば彼は彼で、息を大きくつき、ひとつ伸びをした。

「話が終わる、ねえ。

……いずれにせよ、まあ、俺は事態があまりよく分からんのですよ」

鼻の頭を掻き掻き言う。

非常に舐めた態度である。

「……じゃあ、アナタは一体、何をしにここに来たんですか?」

ワタシは彼に本質的な質問をぶつけた。

ドイガキはその質問に対し、少し口元をニヤリとさせ、こう答えた。

心なしか、待ってましたと言わんばかりの態度だった。

「……俺が来た理由?

そんなの決まってるじゃない。

そちらの話を聞きに来ただけだよ。

何をどうしたいのか」

……これは、とんだ狸オヤジの出現だったか。

悪質な方だったか。

ワタシは平静さを装い、云う。

「話って言っても、先程から話をしているじゃないですか。

説明も十分過ぎる程している。

それなのにも関わらず――」

ドイガキはワタシの言葉を制した。

頭を掻き掻き、馬鹿にした口調で言う。

「……ヒガシタニさんだっけ?

ホントにお宅さんは分かっていないなあ。

こちらが言ってるのはそういう話をしに来たんじゃないよ。

状況説明とか、そんなことを言われても分からん。

――正確に言うと、そんなもの関係ない、ということだ」

「――関係ないって」

不満気なワタシをさておき、彼は自分の話を押し通した。

「状況説明は関係ないって。

――それよりも、もっと重要な話があるだろ?」

「……重要な話?」

「そうだ、重要な話だ」

「……」

無様なまでに口元を歪めるドイガキ。

この男の意図するところは……。



第十六話「金の話と苛立ちの男」



今まで何も分からない知らないと言い退けていた、

大のオッサンであるドイガキが口にしたもっと重要な話、

それは――。

ワタシは事も無げにあっさりと言った。

「もっと重要なことって……あれですか。

要するに立ち退きに関して、

何かしらの金が必要だということですか?」

無残な顔をしたドイガキが少し頷く。

「まあ、簡単に言っちゃえばそう云うことかな。

引越しするには、何かと入用だったりする訳だと、云うことで」

さも当然の権利の主張だと言わんばかりの厚顔無恥さ加減である。

大体にして、そういう目的があるのだったら、

最初から直球ストレートに言えばいいじゃないか。

それをこちらが身振り手振りで説明して、

それを分からない分からないと聞く耳を持たなかったのはどこの誰だ?
 
そしてまた、説明しても同じことの繰り返し。

挙句の果てになって、ようやく金の請求だ。

非常にいやらしく、フザけた話であること、この上ない。

最初の段階からダイレクトに金銭的要求をされた方が

まだ可愛げがあると云うものだ。

まあ、どちらに転んでも、

可愛いなんて言葉が出るものではないであるが……。

目前のオッサンは強気なのか卑屈なのか、げへへへと笑った。

それにしても、と思う。

正当ではない金が絡んだ人間の顔というのは、

このように下卑たものなのだろうか。

一週間風呂に入っていない汗と泥臭さにも似た異臭と同等、

いや、それ以上の嫌悪感を覚えた。

汗や泥臭さや汚さであれば風呂の水を汚泥に変えれるだけで、

その汚物に塗れた人間の体は綺麗になる。

だが、どんなにシャワーを浴びても、

心にこびりついた汚さは落とすことが出来ない。

しかし、この手の人間というのは、どの業界にも限らず、

幾らでも、それこそ腐ってしまう程いるのが現実だ。

いちいち潔癖症の如く、気に病んでばかりいたら、それこそ身が持たない。

だから、ワタシはさらりと言葉を返した。

「……ワタシの話が分からないとか仰っておきながら、

そういう金勘定が絡むことだけは理解をされると云うことなんでしょうかね」

こんな寝言みたいなことを言ってくるヤツには特にカマしてやりたい。

カマしてやるぞ、このヤロウ!

そんなワタシがなりたいタイプは皮肉屋のスナフキン。

もっとも放浪人(さすらいびと)のように全く颯爽とはしていないし、

特段、優しくも暖かくもないけれども……。

そんなスナフキン志望男の前、

いきなり自分の頬を肉団子みたいな拳で何発か叩き付けたドイガキ。

えーと、この人、パチパチパンチの中の人でしたっけ?

本当に、一体何を考えているのだろうか。

ワタシの疑問を余所に、こいつは苛立ち気に言う。

「ああ、苛々する、苛々する! 苛々するんじゃ!」

……。

ってゆーか、感情そのまんまじゃんっ!!

100パーセントオレンジジュースみたいな、

全く持って捻りのない感想だな!!

そう心の中でツッコミを入れるワタシだった。



第十七話「もう帰っていい」



大体にして、金の話を切り出すのに、

上からの物言いをする人間は、

自分の分と云うものを理解していないのではないか。

大体にして、金を乞う人間と云うのは、

常に川下にいて上から流れてくるお零(こぼ)れに与(あずか)る。

ああ、有難や、有難や。

これも天の思し召し。

手を合わせ、拝み拝みお零れを頂戴する。

これが本来あるべき姿ではないか。

無論、ワタシはその行為自体、否定はしない。

金や物を乞うと云うのは、

それこそ太古の昔から存在する行為だからだ。

金のある人間が金のない人間に施しを与えるのは、

ある意味、自然の摂理たる流れであるとも云える。

もっとも自分自身がそのような立場に身をやつしたくはないが……。

しかし――ワタシは藪睨(やぶにら)みの男を見返す。

それにしても、このドイガキなる輩と来たら、どうだ。

ヤクザになりきれぬ、チンピラ崩れの風体のオッサン。

かの人間がワタシのような堅気(かたぎ)相手に、

自らの覚える感情をそのままの形でぶつけてくる。

苛立ちを苛立ちとして恫喝するように、表現してきた、この男。

あたかも金を要求することが、

自らに与えられた当然の権利であるとばかりに、

金を寄越せと120パーセント自己主張している。

こんな輩が本来、弱者の為にあるべき生活保護制度を濫用し、

使うべく人が使えない最悪の状況を引き起こしているのだろう。

それは全くもって間違っているだろ、と。

大体にして、金を要求するのならば、もっとひそやかに、

もっとひっそりとそれこそ日の当たることのない、

日陰者テイスト溢れるがままの申し訳なさを感じるべきではないか。

彼の尊大な態度を見る限りでは、そんな意向は微塵もないようだ。

貰って当然。

貰えて当たり前。

早く金だせ!

……そんな彼の要求にこちらは屈するべきか?

そのまんまじゃん!

なんて突っ込みを入れつつも、

分かりましたと両手で金を差し出すか――?

……出す訳がない。

出せる訳がないし、出すつもりもない。

ワタシは男に云った。

「……そんな恫喝的な言葉を吐かれてどうするつもりですか?

アナタの云っているようなそんな脅しにこちらが屈するとでも、

そのように思っていたりするのですか?」

ワタシの言葉に呼応するかのように、ドイガキの額の脈が波打つ。

血の流れが見えそうだ。

彼は、口元をぶるぶると震わせていた。

「……それでは、そんなんじゃ、話し合いにならないっ!」

彼は怒りに打ち震えた声で言った。

どこまでも自己都合ばかりを優先させる男だ。

ワタシはふぅとひとつ、溜息をつくと、呆れ声で言うのであった。

「話し合いにならない?

それはこちらの台詞(せりふ)でしょう。」

そして、ワタシは男にト