レフォルマ 不動産競売必勝攻略法

    

 




対決!追い出し屋G 対 抗告屋 編

好評連載中!


物件: 木造二階建 戸建

場所: 東京都下

家賃: 15万円

占有者: 老夫婦

占有認定: 賃借人



  BACK → 第三十一話から第五十話まで

 

2006.08.21 月曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十一話 「悪い話じゃない話への返事は?」



――開いた右の掌を見せつけられたワタシは、

黙ったままタバコを咥えた。

肺の奥まで煙を飲み込む。

煙が血管を通って、体中に蔓延するような気がする。

誰もが云うように、煙に隅々まで支配されることは、

間違いなく、体に悪いことなのだろう。

ワタシはキャスターを燻(くゆ)らせた。

普段、ワタシはタバコは吸わない。

だから、絶対にタバコを吸ってはならない――

そのようなシチュエーションがあるのならば、

何ら苦もなく禁煙を達成出来るだろう。

例えそれが、一週間だろうが一ヶ月だろうが一年だろうが、

回りの誰もがタバコを吸っていようが、だ。

ただ、タバコはワタシにとって、

相手と対峙する際に気持ちを落ち着かせるためのツールとして、

欠かせないのも事実で
ある。

ワタシは、もう一度、胸に吸い込み、煙を吐いた。

タバコには、タバコにしかない効用がある。

紫煙は、ワタシの中から怯(おび)えや怯(ひる)みの感情を抱え込み、

空を目指すようにして、共に上へと舞い上がっていく――。



モリ
「どうだ、これでどうだ?」


五本の指の意味――。

それは大方の想像の通りのことだろう。

指一本、10万。

五本で50万、か。

ワタシはまだ灰にはなっていない、

キャスターの残りを揉み消しながら、云った。

視線は彼には合わせない。



ワタシ
「……以前、ハヤシバラさんご本人と話をした際も、

そのような話が出ましたね。

あの時は――」



あのオヤジ、こちらから幾らフンだくろうとしていたんだっけ。

100万、それとも200万?

いや、300万円だったか。

いずれにせよ、根拠もなく吹っかけて来たものだ。



ワタシ
「何だか、常人では考えられないような、

数百万円レベルの、とてつもない金額を要求していましたね。

もう、笑っちゃう位の要求だった。

あり得ない程の ――」


モリ
「まあ、あのジジイはそう云うジジイだから。

あのジジイだからこそ、そんなことを云ってるんだろうな」



モリは、何だか意味があるようでまったくないことを呟き、

ウンウンと一、二度頷いた。



ワタシ
「……そこから、話が変わった、と?」



相手は「そうだよ」と云わんばかりに大きく頷いた。

何故だか、こちらのことを見透かした風の顔をしている。

……実際のところ、ちっとも分かっていないくせに。

ワタシは口にこそしなかったが、その思いを顔には出した。

だが、見透かしている顔をしているくせに、

モリはワタシの真意など、全く見透かしていないのだった。



モリ
「そうだ。

あのジジイに手を焼いているのは、そっちだけじゃないってこと。

でもまあ、ほら、オレはそっちとの話もまとめなくちゃならんから。

ジジイとついでにババアを説得して、

何とか、ウンと云わせるだけの金額を詰めてきたって訳だ」



ワタシ
「……それが、50万円ってことですか?」


モリ
「本来だったら、500万円って云いたいところだけど。

――っておっと、これは冗談、冗談。

あのジジイより吹っかけたって話になったら、

まとまる話もまとまらないってことになるしな」



そう云うとモリは笑った。

面白くもおかしくもない。

むしろ不愉快さだけ残る、モリ一流の寒々しいジョークである。

一頻(ひとしき)り笑い終わると、彼は最後の本題を述べた。



モリ
「……まあ、この程度でジジイと話をつけようってことだから。

アンタにとっても悪い話じゃあ、ないだろ?」



得意満面なモリに、新しいキャスターを口にし、ワタシは云った。



ワタシ
そのような話は、一切飲めませんね」



……続く。

 

2006.08.22 火曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十二話 「お人好しな追い出し屋」



――モリは、ワタシの言葉が飲み込めなかったようだ。

彼の顔は、無駄に余裕の表情で固まっている。

思考回路がマヒしているようだった。

この男はこの男で、自分の提案――しかも、自分にとってもベストで、

相対するワタシにとっても最高であるはずの提案が、

かくも無惨に、しかも即却下されてるとは思ってなかったらしい。

何を云ってるのだ、この男は――?

モリのフリーズからは、そんな叫びにも似た声が聞こえてくるようだった。

どうであれ、モリの提示した案は飲めない。

ワタシは、「まあ、そう云うことで……」と話を切り上げようとした。

だが、ようやく冷凍状態から抜け出し、氷解したモリは、

ワタシをおいそれと逃がそうはとしなかった。

彼は必死の形相でワタシに云い寄る。

唾を飛ばし飛ばし――非常に迷惑だ。



モリ
「いや、いやいやいや!

何を云ってるんだ?

自分の云っていることが、分かってるのか!?

ちゃんと理解しているのか?」


もちろん、理解している。

分かった上で、拒否するのだ――。



モリ
「こっちの云うことは、今までとは違う。

現実的なものだったんだぞ?

300万円とか云っているのを、

50万円で出してやるって云ってるんだぞ?

あんな、自分の云ってることしか聞かないような、

あんな、ジジイを出してやるって云ってるんだ。

アンタ、またあのジジイと直接向き合って、

話をまとめるつもりなのか?

それは無理ってものだ。

無理、絶対、無理!」



続けてモリは、「アンタは自分の云ってることを理解していない。

理解していたら、ちゃんとオレの云うことを聞くはずだ」と付け加えた。

ご丁寧なことである。



ワタシ
「……何を云われても。

アナタの提案は飲めません――」


モリ
「だから、何故?

何故なんだ?」



ワタシは、ふうと息を吐き出し、云った。

蛇のように食い付いてくるな、この男は――。

ワタシは、ゆっくりと言葉を紡ぐ。

これは何かに似ていると思ったが、

そうだ――幼稚園児にお遊戯を教える、保母さんだ。



ワタシ
「いいですか、例えれば、ですよ。

普通の買い物をしているとします。

自分にとって、欲しい物があるのだけど

――まあ、車にでもしておきましょうか。

高くて手を出せない。

でも、それがアナタだけ特別とか云われて、

300万円が50万円になるってことだったら、

欲しい物だったら尚更、おお、これだ!

まさにお買い得だ! と飛び付くかも知れませんね。

だけど、今回は違うんですよ。

前提が全く、違う――」



ワタシは、相手に分かりやすく話したつもりだった。

そして、自分のことを――我ながら、お人好しだと思った。

もし自分の信念があって、それに基づいて帰ると云うのならば、

一言も喋らず、席を立てばいいだけなのに――。

にも関わらず、だ。

わざわざ話の通じなさそうな人間の相手しているのだから――。

良いにしろ悪いにしろ、それがワタシの性分なのだろう。



モリ
「……何だ、その例え話は?

全然、意味が分からない。

意味不明なことでも云って、こっちを攪乱させようって云う、

作戦でも実行しているのか?

そんなのオレは、認めない――」



認める、認めないは関係ない。

まだまだ分かりやすく説明しなければならないか?

どうする、自分?

説明しておくか?

この必死な顔の男に――。

……。

仕方ない。

ワタシは、更に分かりやすい言葉を投げかけた。



ワタシ
「要するにこの件では――金は出ないんですよ。

会社は一切金を出さないと云っている。

300万円だろうが、50万円だろうが。

だから、前提が違う、と云う話をしてるんです――」



――分かりましたか?



……続く。

 

2006.08.23 水曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十三話 「今だけのチャンスだよ、チャンス」



モリの答えは、明確であり――。

ある意味、純粋な反応だった。



モリ
「分からない!」



少しお人好しな部分を出してしまったワタシであったが、

結局、理解されることはなかった、と云うことだ。



モリ
「こんな、悪くない話だってのに!」



目先の話だけで考えれば、

確かにモリの云う話は単純明快なのかも知れない。

だが、実際――。

それが幾らであろうが、支払う必要のある金なのだろうか。

まだ、支払う側が退去に伴う気持ちとして、

心ばかりのものを渡す、と云うのならば、まだいい。

要するに、海外の旅行先でレストランに入った時、

ウェイターに渡すチップみたいなものだ。



ワタシ
「……」



だが、この男の場合、どうだ。

300万だの50万円だの、支払うのは至極当然なことであり、

払わない行為こそ、バカげたことだと云わんばかりの対応である。

そちらの方がおかしなことではないか。

仮に支払うにしても、金額はこちらが指定するべきもので、

貰う側が当たり前のように、催促する類のものではない――。

モリはワアワア喚いていたが、

ワタシは日本人のイメージするアメリカ人よろしく、

手付き身振りを加え、大袈裟に肩をすくめた。

傍から見たとしたら、少しばかり腹立たしい仕草だろう。

……いや、少しばかりではないか。

かなり、ムカつくことだろうな、我ながら。



ワタシ
「――先程云った通りです。

こちらには、金を要求されて、はい、分かりました。

了解しました、なんて律儀に頷いて、

云い分通りの金を用意するってな、

そんな芸当を会社は良しとしないと云うことですね。

よろしいでしょうか。

まあ、よろしくなくてもいいですけど。

……じゃあ、話し合いは決裂と云うことで」


モリ
「おい、ちょっと――」



モリはやはり、口から泡を飛ばしながら、何事か話し続けている。

ワタシは彼の言葉を受けることはせず、

話をぶった切るが如く、云い切った。



ワタシ
「結局、悪い話じゃないってのは、

幻だったってことですね、お互いにとって――」


モリ
「だから、待って、待って――。

待ってって云ってるんだよ!」



ワタシは、「それじゃあ」と席を立った。

これでワタシは――この場から去る。

ブラフでもなく、本当に。



モリ
「いや、ちょっと――。

ちょっと待ってって。

待ってよ、待って下さいって――」




モリは――。

余程、ワタシを帰らせたくないのか、

離したくないのだろうか。

――気持ちの悪い表現ではあるが。

口調がまた、変わった。

今度は哀願口調である。

脅したりすかしたり、最後はお願い、みたいな。

誠に忙しい男だ。

だが、ワタシは立ち止まらない。

立ち去るワタシの背中に、

それでもモリは、言葉を投げかけてくる。



モリ
「分かった、分かったから!

50万じゃなくて、いいから!

40万!

いや、30万!

ええい、10万でどうだ、10万で!

こんなお得なことなんて、他にはないよ。

今だけのチャンスだよ、チャンス――」



ワタシは、ふと立ち止まり。

今いたテーブルの方へと振り向いた。

モリは、立ち上がりテーブルに両手をついて、

ワタシに盛んに声をかけていたと云う次第だった。

「あ、そうだ」と思い出したように、ワタシは彼の元へと歩を戻す。

モリは何だか安心したかのように、

「そうだろう、そうだろう」と何度も繰り返しているのが、見える。

ワタシは席まで戻り、にっこり笑いながら、小銭を置いた。



ワタシ
「これ、ここのコーヒー代の割り勘分です。

あ、でも前会った時、モリさんのお茶代、足りませんでしたから。

その分、差し引いておきますね――」



……続く。

 

2006.08.24 木曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十四話 「甘い誘惑には、裏がある」



――10万円払えば出て行く。



このフレーズは、立ち退き交渉を行っている者にとって、

悪魔の囁きにも似たような、魅惑的な響きであることは間違いない。

特に難儀な占有者相手では、尚更だ。

モリの立ち退き料のディスカウントぶりは、

ドンキホーテやビックカメラも真っ青な程、

「三割四割引きは当たり前ー!」的な世界の話だった。

10万円で家を明け渡してくれる――。

これまでの経緯があり、心にはわだかまりもあるが、

そこは我慢の子でグッと堪えておこう 。

こちらの感情的な部分を抜きとしても、

確かにそれで退去してくれるのだったら早いし、

この程度のコストであれば、割にも合うからだ。

もちろん、喜び勇んで話に飛び付きはしないが、

仕方がないなと云う風を装って、話を前に進めてみるか。

自分の心の一部で、

そんな思いが少しばかりではあるが、芽生えそうになった。

それ故、あの時あの瞬間、

東南アジアの熱帯雨林あたりにいそうな、

食虫植物ウツボカズラの絡め取られる羽虫のように、

その誘惑の響きにつられそうになったが……。



――が、しかしだ。

インスピレーションではあるが、その甘い誘惑には、

どろどろした甘ったるい熟れすぎた桃の香りのような、

どことなく死臭に近い腐敗の臭いを感じた。

また彼の言葉の裏には、

胡散臭い部分が色濃く見え隠れしていたのも事実だ。

大体にして、あの暴落ぶりはなんだ。

立ち退き料は、ものの一分も経たないうちに、

50万円から10万円まで下がった。

モリのあの勢いからして、話を持ち帰るでもなし、その場で即決価格。

だから、買わなきゃ損々だ――と。

必死に「得だ得だ」と連呼していていて――。



……。

おかしい。

そして、あからさまに怪しい。



一時の熱病に冒されてはいたが、

冷静になってみれば、 おかしいとしか思えない。

だから、モリの提案には一切、乗らなかった。



それにしても――。

ワタシは思い出し笑いをする。

帰り際の、あの男の顔といったら……。

チャリンと
テーブルに置かれた小銭を前にモリは、

ホッとしたような安心した顔のまま固まり、

引きつった笑顔は赤みを帯びていき、どす黒くなっていく。

ワタシはその様をみて、更に一言



――それでは。

アナタとは、もう二度と会うことはないでしょう。



渋谷の借りを新宿で返すと云ったところか。

さて、モリとの絡みはこれでおしまい。

本筋に戻さないと。

ハヤシバラ夫婦との交渉に、ね――。



――眠らない街がようやくその重い腰をあげ、

目覚める準備をし始めた頃、

ワタシは雑踏の中、次の一手を考えていた。

ハヤシバラに会い、彼らに退去して貰うための算段――。



だが――。

この後、ハヤシバラとは会えなくなった。

自宅に行っても、奥さんとは出会えず――。

昼はもとより夜遅くに行っても、家の灯りは点いておらず、

ひっそりとしているだけだった。



結局、何ら進展もないまま日にちだけが過ぎていき、

競売で落札した金額の残代金を支払う、

代金納付の期限日を迎えた。

かくして、ハヤシバラが占有を解除せぬまま、

会社に所有権が移転されたのであった……。



……続く。

 

2006.08.25 金曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十五話 「平凡な一日のはじまり」



――アオタの一日は、一杯の酔鯨から始まる。



「酔鯨」は、幕末の土佐藩主・山内容堂の雅号『鯨海酔侯』 から

その名を取った、高知の銘酒である。

「昨は橋南に飲み、今日は橋北に酔う、酒あり飲むべし。

吾、酔うべし――」などと謡いつつ、

命の水で満たされた赤ひょうたんを手にし、気ままに呷(あお)る。

酒で濡れぼそる口元をぬぐった手の甲をも、

愛おしそうに嘗める程の酒好き――それが山内容堂だったと云う。



目覚まし時計の不躾な音によって目を覚ましたアオタは、

寝間着のまま、布団にくるまりながら、

いつも枕元に置いてある酒瓶を手にする。

酒と詩をこよなく愛した幕末藩主よろしく、

なみなみと注いだコップから縁から流れた酒の幾筋ですらも、

見捨てるのは勿体ないとばかりに「おっとっと」と独りごちながら、

口元をタコの吸盤のようにコップを吸い付かせた。

紙のカップに入ったアイスクリームのフタを開けた後、

真っ先にスプーンのへりでこそぎ取るのももどかしく、

フタを舌で嘗め回す――。

彼はそんなタイプの人間だと云うことだ。



「ぐふうう……」

酒が体のなかに入る。

ああ――。

朝の五臓六腑に染み渡る。

満たされる。

まさに格別な一服だ。

アオタは、十分にコップの外周を嘗め回すと、

次は本陣を攻めるが如く、一度、二度と少しずつ口に含み、

そして、三度目は突撃とばかりにグイッと液体を一気に呑み込む。

体の芯からカアっと熱くなった。

至福――まさに至福の一時。

アオタは、この瞬間が堪えられないほど好きであった。



「やっぱ、酒は酔鯨に限るな――」

故郷の酒造で造られたこともあり、

特別な想いを持っている――。

ことある度に、彼はそう他人に公言しているが、

実際のところ、一本ウン万円の銘酒だろうが、

紙パックに入った大量生産のメーカー品であろうが、

酔ってしまえば、みんな同じ酒。

ガハハと笑いながら、胃の中に流し込む――。

ありふれた形の呑んべいであった。



火付け薬をすっかり呑み干したアオタは、

さて、もう一杯と云う気持ちを堪え、

こんなのを手にしているから悪魔の囁きに惑わされるのだ、

とばかりにコップを不作法に転がした。

「さて――」と目覚まし時計を見る。

時計の針は7時半を刺していた。

いつもと同じ時間。

そろそろ、行かなければ――。

アオタは、名残惜しそうに布団に別れを告げ、

よろよろとよろけ、ふらふら体を揺らしながら立ち上がる。



「さあ、行くか――」

10分で身支度を整える。

もっとも支度と云っても、外見を気にしない、五十過ぎの男だ。

顔を洗って、歯を磨きながら、ポマードで寝癖を押さえつける。

ヒゲは――いいや。

今日は無精ヒゲの日だ。

そんな日を勝手に制定。



そして、あたふたと出勤――。

いつものようにありふれたアオタの一日は、

こうして幕を開けるのであった……。




……続く。

 

2006.08.27 日曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十六話 「それはそれは、平凡な出勤の風景」



――アオタの家から彼のカイシャまで、車で三十分かかる。

ただそれは、渋滞に巻き込まれることなく、

通常の流れに沿って行ければの話だ。

途中、差しかからなければならない幹線道路では、

駅前あたりでどうしても朝の渋滞に出くわしてしまう。

そのため、通常の車乗時間に少なくとも

プラス十五分は見越しておかなければならない。

アオタの出勤時間は午前八時半で、

彼が家を立つのは、午前七時四十分過ぎ。

いつも、出勤時間ぎりぎりだ。



だけれども、それでいいじゃないか。

カイシャのなかには遅刻ギリギリの彼とは違い、

始業時間三十分前から来ている人間もいるが、

それで何をしているのかと云えば、

コーヒーを飲みながら新聞の三面記事を読むか、

もしくは同じく早めに出勤している事務員と

取り留めもない無駄話をするくらいだ。

朝早く来ることで著しく生産性が上がっている、

と云うわけではあるまい。

単に朝早くから来ている事実だけで、

自分はそれだけカイシャに貢献していると云う、

自己満足の幻想を見ているだけだ。

――であれば、まだゆっくりと惰眠をむさぼり、

朝の酒を嗜(たしな)む方がいい。

あ、酒を飲んだ後に運転――。

一杯くらいだったら、呑んだうちには入らないだろう。

きっと。



彼は自宅の駐車スペースにとめている、

二台の車のうちの一台、マーチに乗り込む。

もう一台は、BMWである。

一世代前の型落ちになってしまったが、

正規ディーラー
で買った車だ。

でも、この車は仕事には使わない。

BMWは一度、カイシャの用件で使ったのだが、

目的地にたどり着く前に、長く細い道に入り込んでしまって、

車体の両脇をえらく擦ってしまい、えらく懲りたことがあった。

それ以来、プライベートでしか
乗っていない。

その点、マーチは小回りが利く
ていい。

運転もしやすい。

それに、高級外車みたいな、その手の車に乗っていること自体、

誰かに
られてしまうと、都合が悪仕事をしていることもある。

だから、日々の仕事の足は、マーチなのだ。



それにしても――。

マーチのハンドルを握るアオタは、

欠伸(あくび)を頻(しき)りに連発する。

――年を取ると眠りが浅くなり、目覚めるのが早くなる。

それが世間の常識だ、と誰かが吹いていた。

だが、五十を過ぎますます眠気の色が濃くなり、

朝の覚醒が心地悪くなっている彼は、

常識外の人間だと云うことなのだろうか。

「違う、違う」

彼は車のなかでも、独りごちる。

「眠いものは眠い」

アオタの睡眠時間は、六時間。

別に睡眠時間が他人より際だって、少なくはない。

もうちょっと睡眠時間を増やしてみるか――。

アオタはあくまでも自分が眠い原因は、

睡眠時間の長さにあるものだと疑ってならない。

実際のところ、彼の眠気は

毎朝の迎え酒に誘引されているだろうにが、

もちろんの事ながら、朝の日課のせいにはしないし、

それをやめるだなんてことは、

これっぽちも考えることはないだろう。



――今朝、三十六回目の欠伸をしたのは、

カイシャの駐車場に車を入れた時であった。

時間は、午前八時二十八分。

それはそれは、平凡な出勤の風景であった……。



……続く。

 

2006.08.28 月曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十七話 「アオタのいる、カイシャの風景」



――アオタさん、またギリギリ。

もう、三十秒遅刻よ。

もっと、早く来て貰わなくちゃ。



「はよう、はよう」

アオタがカイシャの執務室に入ると、

受付のカウンターにもっとも近い席に陣取る事務員が

机上の書類に目を落とし、こちらを一顧だにせず、そう云った。

アオタは「へいへい」と気がない返事をし、

同僚には「よっ」と軽く手を挙げつつ、

「よっこらせ」と勢いをつけて、自分の席に就く。

いちいち、自分の起こすアクションに対して、

呼びかけとも云える声を出してしまう。

これはいつの頃だったか。

忘れてしまった。

覚え出すことが出来ないくらい前だってことだろう。

どうでもいいことだ。

アオタはキャビネットの引き出しから、爪切りを取り出した。

ゴミ箱を引き寄せ、爪を切り始める。

パチン、パチンと小気味よい音を立てながら、

アオタはスケジュール表を見て、

今日一日の仕事を確認していた。

――今日は、と。

午後に一件、隣町での仕事、か。

この準備もしなくちゃな、と思った途端、欠伸が出た。

眠気覚ましに熱い緑茶が欲しい。

それも緑の色が深い、

如何にもカフェインが多そうな濃い茶がいい。

彼は、最後の仕上げに爪を磨くことなく、

爪切りを元の場所にしまい込み、

部屋出て廊下を真っ直ぐ行ったところにある給湯室へと向かった。



この執務室には事務員が四人もいると云うのに、

誰も彼も、上役にお茶の一杯すら出さない。

それはアオタが三年前にこのカイシャに転属になったのだが、

それ前からの決まり事だと云う。

そんなことをちっとも知る由もなかったアオタは、

配属早々、事務員に「お茶入れて貰える?」

と声をかけた途端、その事務員の隣の席の、

年の割には大柄な女事務員が、

目を怒らせワアワア騒ぎ出したことを忘れることは出来ないだろう。

「事務員はお茶汲みなどでは、ない」

恐らく、この決まりを上に要求したのは、

今朝も真っ先に嫌みみたいな一言を投げかけてきた事務員

――イワノだろう。

イワノは、この執務室での事務員歴が十年を超え、

この部屋にいる誰よりも在籍年数は長い。

老獪な人間で、かつ独自のネットワークを生かし、

誰がこうした、ああしたと云った情報を逃さない。

それに事務員を束ねている長である。

云わば、お局様であり、影の支配者でもある。

むしろ、牢屋主と名付けた方がいいかもしれない。

彼女に睨まれてしまったら、仕事もやりにくいだろう。

だから、彼女が「自分のことは自分で」と云えば、

それに対して、 誰も反論することは出来ない。

例え、アオタを含むこの部屋の主人たちが、

事務員の直接の雇い主である、としてもだ。

しかも、この件に関して、

彼女の云うことが時流にあった正論だと云うことが、

腹立たしさに輪をかける。

ファーストコンタクトの時、たかだか茶一杯のことで、

あれだけ喚き散らされた光景を思い出し、

胃がムカムカして来た。

――茶くらい汲んで来い!



アオタは、底が焦げ付いたヤカンで湯を沸かし、

急須に茶葉を入れる。

棚から自分専用の湯飲みを取り出し、

急須をゆっくり輪を描くように揺らし、茶を注いだ。

茶葉は奮発しているだけあって、緑が濃い。

出涸らしなど、飲めたものではないからな。

渦を巻くようにして注いでいると、

緑の表面に牢名主事務員の顔が浮かんできた。

そう云えば、あのババアの名前も、ミドリだったっけ?

似合わない、名前だ。



イワノのババアはいつも細かい。

細かさは時間だけではなく、金については無論のこと、

相手の服装や見かけについても、

何もかもについて細かいチェックを入れる。

職場内での歓送迎会の飲み代だって、

彼女が率先して電卓をはじき、

割り勘の金額を細かく出すし、

――会計時に割り勘の計算をしてくれるのは、

考えようによっては、有り難い存在かもしれないが、

彼女がしっかりとみんなから金を徴収した後に、

支払いは彼女のカードで行われる。

彼女はカードのポイントをどれだけ貯め込んでいるのだろう――

まだ今朝はイワノのババアと直接、面と向かってはいないが、

この無精ヒゲのことも云ってくるだろう。



――いいですか。

アオタさんは、ただでさえ、ヒゲが濃いんですから。

毎日、毎朝とは云わず、いつもヒゲ剃りを持ち歩いて、

六時間ごとに剃った方がいいです。

それは間違いないことなので、しっかり、覚えておいて下さい。



このセリフは何度かすでに云われている。

……。

あのババア。

自分の雇い主が誰かってことをちゃんと認識した方がいい。



アオタは、イワノの幻想を消すが如く、

緑茶を一気に飲み干した――。

が、熱くてむせた……。



……続く。

 

2006.08.29 火曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十八話 「今日一番、メインの仕事




――
午後になると、 アオタは昼飯もそこそこに車に乗り込み、

カイシャから車で四十分程行った先にある、

隣街の現場へと向かった。

今日一番、メインの仕事である。

これさえ片付ければ、今日の仕事は終わったと云ってもいい。



午後一時のアポイントだった。

しかし、自分ではそこそこの昼飯タイムも、

他人から見れば、そこそこではなかったのだろう。

道のりは渋滞に出くわすことなく、順調そのものだったのに、

アオタはどうだと云えば、約束の時間を十分ばかり過ぎた頃に、

ようやく目的地に辿り着こうとしていた。



……。

まあ、車に乗って来たのだ。

それで、渋滞に巻き込まれた。

いいや、これでいこう。



いつもの決まり切った云い訳を頭に思い浮かべる。

アオタが現場に到着すると、

その家の前には、黒の軽ワゴンが止まっていた。

アオタのマーチがその軽ワゴンの前を通り過ぎるや否や、

男が勢いよく飛び出して来る。

マーチが道路の脇にゆっくりと止まると、

その男は車のドアの前までダッシュで走って来た。

直立不動のまま、アオタがドアが開けるのを、

今か今かと待ち構えているようだった。



「シャチョウ、おはようございますっ!」



アオタがドアを開くと、男は頭を下げ、腰を深々と折り曲げ挨拶する。

男のバーコードヘアがすだれのように垂れ下がった。

そんな光景を目の当たりにする度に、アオタは思う。



――こいつ、まだオレよりも、十歳は若いはずなのに、

こんな頭になっちゃって、苦労を重ねているんだろうな。

ただ、オレがバーコードだったら、大人しく無条件降伏して、

とっとと頭を丸めるだろうに……。



それに――。

アオタは続けて思う。



う昼はとっくに過ぎていると云うのに、

この男の挨拶はいつも決まって「おはようございます」だ。

もっとも昼だからと云って「こんにちはでございます」とか云われても、

何だか言葉として締まらない。

だから、「おはようございます」で正しいのだろう、きっと。



男の呼びかけに、軽く右手を挙げ、「おう」と応えた。

申し訳程度に遅刻の理由を伝える。

男は、「いえいえ、心配には及びません。

客を多少待たせるくらい、全然問題ありません」

と何度も頭を振って否定した。

いつもの事である。



バーコード頭の男――名は、ノジマと云う。

仕事のパートナー――と云うよりも、手伝い、雑用係として、

ここ三年ばかり補助役を務めて貰っている。

常に低姿勢、絶対服従を旨として、逆らうことを知らない。

アオタの云うことであれば、大抵のことだったら、

無理も聞くのではないだろうか。

少なくとも、午前三時あたりに寝ているところを叩き起こし、

呑み屋から家に帰るための運転代行をお願いしても、

少しも文句を云うことなく、飛んで来るのではないだろうか。

もっとも、実際に頼んだことはないけど。

……んー。

そんなシチュエーションがあれば、実際に依頼してみるかな。



「シャチョウ、今日のスケジュールは――」



ノジマは秘書よろしく今日やるべき事を

それはそれはテンポ良く、順序立てて述べていった。

アオタは「分かった、分かった」と云うと、

男が促すがまま、現場のあの家へと足を向けるのであった。



さて、と。

仕事、仕事……。



……続く。

 

2006.08.30 水曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第五十九話 「平凡な一日の最悪な客」



――たくっ、何だよ。

何なんだよ、あの野郎は!



カイシャに戻り、自席に就いてからも、

中から揺さぶられるような胃のムカつきが取れることはなかった。

机の上に置いてあった湯飲みを半ば乱暴に掴む。

湯飲みの底には朝、自分で淹れた、もはや緑茶とは呼べない、

緑色の液体の物体が僅かに残っていたのだが、

アオタは構わず、グイとばかりに飲み干した。

途端に顔が、良い意味ではなく悪い意味で、更なる渋さを増す。



――マズイ。

ええい、忌々しい!



仮にこれがアオタの自宅であれば、彼は迷うことなく、

焼き物の湯飲みを投げ付けていただろう。

もちろん、湯飲みが割れないよう、ソファーや座布団の上など、

その場所に即した柔らかなものに向かって、であるが。

だが、ここはカイシャだ。

ここでモノを力投したら、問題になってしまう。

我慢しよう、我慢しよう。

心頭滅却すれば火もまた涼し。

その精神だ。



アオタの憤りの原因は、ひとえに今日の客にあった。

もし誰かが、アオタに「ご機嫌斜めですね」などと話しかけたら、

彼は「本当に機嫌が悪いんだよ」と前置きした上で、

間違いなくこの通り、断言する。

今日の客が最悪だったからだ、と。

何が最悪って――。

ああ、思い出すだけでも、ああ苦い。

緑色のぐだぐだした胃液が逆流して来そうだ。



最悪な客――それを端的に示しているのは、言葉遣いだった。

その通り、あいつは言葉遣いが最悪だ。

何故、あいつはオレに対してタメ口を聞くのだ?

自分の立場をこれっぽっちもわきまえていないのではないか。

こちらが丁寧に喋ってやったのに、

その返答が「そうなの?」ときたものだ。

「そうなの?」だと、この野郎が。


スーツの着方も知らないような、若造のくせしやがって。

普通、目上の人から話しかけられたら、

最大級の敬意をもって、接しなければならない。

そんな当たり前のことも分かっていない。

しかも続く言葉が「で?」だ。

何だよ、「で?」って。

一文字かよ!

はてなマークを入れても二文字じゃねえか。

どんな省エネ体質なんだよ!

ああ、腹立たしい。

それに――。

あの若造、まだぺーぺーのくせに、高そうなスーツ着やがって。

あんな茶髪の、無駄にキューティクルなんかしてやがって。

無駄に、サラサラな髪の毛をしやがって。


髪の毛のことなら、ノジマを見習えって云うんだ。

あの若造も、バーコードになっちまえばいいんだ!



もはや、怒りの矛先が若い客の言葉遣いから、

茶髪のサラサラヘアーに向かっているアオタである。

一体、何について怒りが溢れているのか、

自分でもよくは分かってはいない。

ただ、怒りたいから、怒っていると云うことなのだろう。


アオタはひとりブツブツ云っていた。

耳を澄ませば微かに聞こえてくる。

「バーコード、バーコード……」と何度となく呟くアオタの声。

端から見れば、「この人どうしたんだろう?」

などと心配される対象になっていたのは、無論のことであり――。

事実、アオタの隣に座っていた同僚は、彼の様を横目にし、

「ああ、またこの人のビョーキがはじまったよ。やれやれ……」

と思っていたのだった……。



……続く。


<WEB拍手のお返事>


8/30 10時
Gさん、毎日更新したらしたで、暇ではないかと心配してしまいます。

意外と忙しいんですよ、ワタシは(笑)

寝る時間を若干割いて更新しています。

ただ、書いてるっていっても一時間足らずですからねえ。

 

2006.08.31 木曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十話 「かくして、アオタの正体は?




――怒りの炎が、一端、燃え上がると消えるのに時間がかかる。

傍目には消えたかのように思われても、

その実、燃えカスの奥の奥には小さな種火が隠れていて、

ちょっとした拍子で小さな塊は、徐々に浸食していき、

大きな炎となり、復活を遂げる。

まさにアオタはそんなタイプの人間であった。

今日の客に対する怒りは、バーコードヘアーに転化し、

そしてバーコードから、いつしかまだ自分よりも十も若い、

ノジマの頭の頂点に対する、憐憫の情へと変貌を遂げた。



ノジマも人知れず苦労しているのだろう。

あいつも不幸そうな男だからなあ……。



ノジマの不幸の種となっている、そのひとつの原因は、

アオタにもあるのだろうが、

しかし、そのことに彼は気付いていなかった。



まあ、いつまでも過去のことを引き摺っていても、仕方ない。

今日はこれで大きな仕事が終わったのだから。

後は、たまった書類を少しずつ、片付けていこう。

アオタは、キャビネットの引き出しを勢いよく開けた。

なかには、ろくに整理もされていない書類の束が、

窮屈そうに収まっていた。

一番上に置いてあった書類を手にする。



ああ、これ、もうカイシャに出すために、

もう一回、 あいつに電話をかけて、

詳しく 調査しておかないといけないんだよなあ。

だけど、こいつ、何故だか怒鳴ってくるんだよなあ、偉そうに。



アオタは苦虫を口の中で磨り潰したような顔をする。

そんな顔でしばし、思考を巡らせた結果――。



……。

いいや、今日はあいつに電話するのは、なし。

今日は今日とて、腹立たしい客に出くわしたからなあ。



アオタが仕事を行う上で、幾つかルールを決めているのだが、

そのひとつに、こう云ったルールがある。

――ひとつ、面倒臭い相手は、一日一回のみ。

要するに、
今日は腹立たしい客に会ったから、

更に腹立たしい思いを今日一日で味わう必要はない。

腹立たしいノルマは、一日一回まで。

ファミコンは一日一時間まで、ときたものだ。



アオタの決断は下った。

その書類をまた元の位置に戻すと、ガラガラと引き出しを閉めた。

今度は机の上に立ててあった、帳簿を取り出す。

その傍らには、クリアファイルにたまりにたまった領収書。

アオタは帳簿と領収書群のにらめっこをしながら、

たまった経費の精算を始めたのであった。



14582円+55835円+985735円+……。



三十分もやってると、

頭の中を無意味な数字の羅列が巡り巡っていく。

ただ今の時刻――午後四時二十三分。

定時まであと少し。

今日は、五時きっかりにあがろう。



最後のラストスパートとばかりに、

再び、計算し始めたアオタであったが――。




「……タさん。

……オタさん。

……アオタさんってば!」



誰かの呼ぶ声がした。

ああ、計算に没頭していたら、

必要以上にのめり込んでしまったと云うことか。



「アオタさん、ねえ、ちょっと――」



誰かが、自分の名を何度も呼んでいる。

ふと顔を上げると、そこにはイワノのババアがいて、

こちらをあからさまに見下しているような顔を向けていた。

アゴでカウンターの先を示す。

そこには、スーツの男がボケッとした風に突っ立っていた。

イワノは、口元に小馬鹿にした笑いを浮かべ、云った。



「……お忙しいところ申し訳ないんですけど。

アオタ執行官にお客さんが来てますよ――」



……続く。

 

2006.09.02 土曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十一話 「紙くずでいっぱいのポスト」



――幾度となく手紙を送り、 こちらと会うよう面談を促し、

幾度となく訪問し、玄関ドアを開けさせるべく、呼び鈴を鳴らし、

幾度となく家の前に立ち、相手の影を踏むべく、 張り込みを行った。

だが、占有者――ハヤシバラと会うことは叶わなかった。

昼、訪問しても部屋中の窓は閉められ、

夜の訪問でも、家の中から灯りが漏れておらず――。

門扉の脇にあるフタが取れかけた郵便受けを覗いてみると、

ハヤシバラ夫妻宛の手紙や封筒――電気・ガス・水道各種公共料金、

携帯、保険の請求書、通販や直販のダイレクトメールに混じって、

似たり寄ったりの社名の金融業者からローンの案内状が届いている。

おまけにピザや中華、宅配寿司、不動産の売ります買いますチラシに、

デリヘルや裏ビデオと云ったいかがわしいピンクビラ
が詰め込まれ、

受け箱の半分くらいが埋まっていた。



前に、一人暮らしの中年男の立ち退き交渉に赴いたことがある。

こちらからアプローチをかけても、梨のつぶて。

ウンともスンとも、リアクションを返して来ない。

人知れずどこかに行ってしまったのかとも思ったが、

電気メーターは勢いよく回っている。

部屋の中にいることは間違いない。

夜、夜討ちをかけるべく、呼び鈴を押しているときに、

部屋の中から、ガタンと云う物音が聞こえた。

恐らく男は夜であっても灯りを点さず、

ジッと息を殺すかのように、
覗き窓から様子を伺っていたのだろう。

そんな男は自宅マンションにひきこもっているのにも関わらず、

その部屋の集合ポストは、 ハガキやチラシ一枚すら差し込めない程、

腹の中に無用な紙切れの束を食い貯めていた。

男はポストの中身に
一切興味がなかったのだ。

それもそうだ。

数限りなく到来してくる、請求書の山には誰だって、嫌気が差す。

ある時、そのマンションに行くと溜まりに溜まっていた紙くずが、

きれいさっぱりなくなっていた。

もしかすると、男に少しばかり心境の変化があったのか。

これは交渉のきっかけになるかも知れぬ――。

ワタシは勢い勇んで、電気メーターの回る、彼の部屋の扉を叩いたが、

やはり前と変わることなく、扉はその口を固く閉ざしたままだった。

後で、そのマンションの管理員と話をしてみると、

他の住民から美観を損ねていると苦情が来たために、

やむなく、段ボールにまとめて入れ、

管理員室で保管しているとのこと。

オチにもならない、オチがついた。



それでは今回のハヤシバラの場合も、

その男のケースと同じであるのだろうか――?

家に籠城しているが、郵便物を取りに行く手間すら惜しんでいるのか。

もう、「金を返せ」としか書いていない手紙を見る必要がない。

そんなのは、気が滅入るだけだからだ――と云うことか。

ワタシは違うと思う。

確かにハヤシバラ宛に複数の金融業者から、

ダイレクトメールが届いているのは事実だ。

現在、もしくは以前において、

その手の業者から幾らか知らないが、金を摘んだことがあるからだ。

業者内で名簿は回っている。

彼らの業界内でのお得意様リストの名簿だ。

カモのリストと云い換えることが出来よう。

確かにそう云った悪魔の誘いの案内状をそれこそ腐る程、

貰うことは気分が悪くなり、受け取りを拒否したくなるだろうが、

それと一緒に自分宛の私信までをも放置はしないだろう。

まだ、そこまでのレベルには達していないはずだ。



ワタシは、紙くずでいっぱいのポストを眺めて、思う。

そうだとしたら――。

家にはいないのだろうか。

それとも夫婦共々帰ってきてはいない。

そう考えるのが、順当、か――。



……続く。

 

2006.09.03 日曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十二話 「第一弾の切り札」



――ハヤシバラと会えない。

何をしても、どうしても。

彼らと会うことが、叶わない。

実際のところ、この占有者はこの家にいるのかいないのか、

それさえも分かってはいない。

この家と隣家を隔てる塀の脇にある電気メーターをチェックすると、

完全に動作を停止しておらず、微かに回っているが、

このゆっくりとした回転は、最低限の家電――

例えば、冷蔵庫の保冷のための電力であろう。

だから、彼らは今、部屋にはいないと思われる。

それは一時的なものであるのか、それとも恒常的なものか。



もしかしたら――。

ハヤシバラ達は夜逃げ同然に家を飛び出していったかのだろうか。

債務者のなかには、不必要な家財道具をうち捨てるかのように、

どこか遠くへ逃げていったと云うケースはよくある話だ。

だが、彼らは、債務者である所有者と云う立場ではなく、

あくまでも賃借人である。

普通だったら、逃げる必要性はない。

しかし、ハヤシバラの場合、普通とは云えないだろう。

その賃貸借契約自体、経緯がよく分からないものだし、

彼ら自身にしたって、夫婦共々、街金だから闇金みたいな、

金融業者からダイレクトメールが届く位だ。

怪しいこと、この上ない。

質の悪い人間から金を引っ張ってきて、

結果として逃げなければならなくなったのかも知れない、

と云うこともあり得そうだが、

それが今のこの状況と云うのは幾らなんでも、

タイミングが良過ぎる。

それに、ここから退去するのならば、

数百万レベルもの立ち退き料を払え、なんて吹っかけて来たのだ。

逃げるにしたって、その前にハヤシバラは、さも当然だと云う顔をして、

引っ越し代とか立ち退き費用とかその手の名目ではなく、

預けた敷金を返せとこちらに手を伸ばして来るだろう。

もちろん、前の所有者から引き継がなくてもよい敷金など、

こちらは返還する気などさらさらないのではあるが――。

やはり、何らかの理由で家から離れているのだろう。

理由――ワタシと会いたくないから、とか?

会いたくないのはやまやまだろうが、

それ以前にもっと単純な理由であるのかも知れない。

例えば、旅行であるとか、だ。

ただ旅行にしても「何故、今の時期に?」

だなんて疑問は生まれる訳だけど。



いずれにせよ、どんな理由があるにせよ、

ハヤシバラ達は夫婦共々、家にはおらず、

従って、彼らと会えない――それが現実だ。

ハヤシバラの代理人を自認する、モリの線もこちらからぶった切った。

この線を復活させることはあり得ない。

いらないものを集めたって、役に立つこともなく、

出来るとしたって、せいぜいゴミ屋敷が完成するだけだ。



では、解決の糸口は――。

これはワタシが望むべくもないことではあるが、仕方あるまい。

切り札の第一段目を発動するしかないか。

それは、裁判所の引渡命令である……。



……続く。



<WEB拍手のお返事>


9/2 17時
毎日の更新楽しみにしてます。



更新楽しみにしてくれてありがとうです。

出来る限り、更新していきますけど、

更新止まったら、ちょっと待っててくださいね。

 

2006.09.05 火曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十三話 「引渡命令、発令さる」



――
引渡命令とは、裁判所が占有者に対して出す、

「この不動産を申立人に引き渡せ」と云う内容の命令文のことである。

命令文であるので、もちろん、文脈も命令口調である。

決してへりくだって、「引き渡して下さい」などと弱々しく文面ではない。

はっきり断定的に「引き渡せ」と切り捨てている。



この手段は微々たる手数料かつ簡易な手続きで行うことが出来るが、

占有者であれば誰にでも命令が下る訳には行かない。

例えば占有者が所有者であったり、タダ借りをしている使用借権者、

契約の期限が到来している賃借人等、

いわゆる買受人に対抗出来ない者に対してのみ、

引渡命令を申し立てることが出来る対象となる。



それでは果たして、この引渡命令の効果たるやどの程度のものだろうか。

これは裁判所の手続きによって成されるものである。

単に利害関係人が「ここを使うので退去して下さい」などと云う旨の

内容証明を送るのではない。

あくまでも公正なる第三者機関――日本と云う法治国家の基礎である、

三権分立の一角、司法によって下される命令である。

世の中には、現実には存在しない組織名を用い、

曖昧な記述の割にはとてつもなく威圧的な文面で、

「アナタには債務があるので、早々に支払え」

だなんて、法律についてちょっと知っている人――このレベルは、

弁護士や司法書士並みの知識を持っていると云うのではなく、

「ナニワ金融道」を一通り読んだことがある程度のレベル

――が読めば、一笑に付してゴミ箱行きになる、

架空請求のハガキがポストに届いただけで、大層驚愕し、

「早々に支払わなくては……」なんてATMに駆け込むような、

詐欺のカモにされてしまう人もかなりの数で存在しているのだ。

本物の裁判所の裁判官名で届いた、

しかも、命令口調で書かれている文章を見せ付けられれば、

もはやこれまで、お上には逆らえない――

などと思う占有者も少なくは無いのは当然のことであろう。

その効果をワタシは狙っている。

引渡命令の一通で即日、退去してくれたら、それはラッキーである。

即日退去までは行かなくとも、

最低限のラインでこちら側の意向に沿った形で、

交渉のテーブルに就いてくれれば、それでいい――。



今回の占有者であるハヤシバラの占有権限は、

買受人に対抗出来ないものである。

引渡命令申立の申請書を書く際、

ワタシは相手方に、ハヤシバラ某と彼ひとりの名を書いた。

家族が占有している場合において、引渡命令の相手方とするのは、


大抵のケースではその主人の名前のみを書く。

例えば、相手方が元の賃借人であれば、

賃貸借契約書に記載された賃借人の名前とする。

いちいち、家族の名前を書き記さない。

何故ならば、仮に夫婦が占有しているケースにおいて、

主人を相手方にして引渡命令の申立が認められたら、

家族も世帯を同一にしている者として、

主たる者の占有を助けている――いわゆる占有補助者として、

特に引渡命令の相手方にしなくとも、その効力の範囲は及ぶからだ。

だから、今回もハヤシバラの主人を相手方にしておけば、

ハヤシバラの奥さんも当然の如く、

占有補助者として認定されるのは間違いなく――。



――通常であれば、そうなるはずなのだ。

しかし、この後、驚くべきことが起きようとは、

その時のワタシには知る由もなく……。



代金納付を行い、買受人が晴れて名実ともに所有者となる日。

ワタシは同日、事前に作成していた、

引渡命令申立ての申請書を裁判所書記官に渡した。

引渡命令を担当するその書記官は、大してその内容を確かめるでもなく、

ひどく無愛想に、興味なさそうな顔で受け取った。

彼らも、毎日毎日、同じような文面を見せ付けられては、

変化が無く、辟易しているのだろう。

書記官の表情から、ワタシはそう悟った。



そして、数日後――。

引渡命令は発令された……。



……続く。

 

2006.09.07 木曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十四話 「特別送達は受け取られたか?」



――引渡命令の正本は、特別送達郵便と云う

通常とは異なる、特別な配達方法で相手方に届けられる。

特別と云っても、手続き上の特殊さであり、

配達するのは大方の場合、郵便局の人間である。

例えば、クリスマス時にありがちな、

ピザ屋のバイクの兄ちゃんがサンタの格好をして、

マルゲリータピザを運んでくる――。

「はい、お待たせしましたー。

マルゲリータピッツア、安全運転でお持ちしましたー」

サンタなのに、老け役の声色を用いる訳でなく、

サンタなのに、若々しい爽やかな声でピザ――ではなく、

ピッツアの入った箱をお客に差し出す。

……そんな冬季限定ピザ屋のおのぼりさんサービスよろしく、

郵便局員が裁判官のコスプレ――どんなコスプレだ?

とりあえず、黒い法衣でも着ているんだろうな、きっと

――で、債務者の家に訪問をかける。

三河屋のサブちゃんみたいなノリで、

「ちわー、裁判所ですけど。

引渡命令の正本持って来ましたー」

だなんてことは、もちろん、なく――。

普通のどこからどうみても郵便局員の格好をした人間が、

配達時に裁判所からの送達である旨を述べ、配達物を渡す。

書類を交付した人間から、送達報告書にサインか押印を貰う。

相手方が受け取り、

郵便局からその証明が裁判所に届いた時点ではじめて、

相手方が書類を受け取った=裁判所の命令を知った、

と云う図式が完成するのだ。



さて、裁判官が引渡命令を発令するまでには、

どの位、時間を有するのか。

通常の裁判手続きのように、申立書をよく読み込んで、

申立人や相手方の云い分を聞くべく、

双方から準備書面や証拠を提出させ、

両者とも裁判所に呼び、お互いにその主張をさせる――

などと云った手続きを省くところに、

この引渡命令の簡易さが光っている。

だから、物事を決めるまでの時間をさほど必要とはしないのである。

おおよそ、競売資料の中でも最も重要な書類である、

物件明細書に記載されているような、

所有者であったり使用貸借権者であったりした場合、

即日に近い形――おおよそ二日、三日で裁判官の命は下る。

ハヤシバラの場合も、彼は一応、賃借人を名乗ってはいるが、

物件明細書には「買受人に対抗できない」旨がきっちり書かれている。

彼もまた即日対応されるべき人間であったのである。



――申立の日から三日経ったその日の午後には、

新しく所有者になった、うちの会社に引渡命令正本が届いた。

ハヤシバラの元にも特別送達にてそれが送られていることだろう。

だが、特別送達は受け取られていなかった。

それから一日、二日、三日と経過しても、

幾度となく、相手方に送達されたかどうか、裁判所書記官に尋ねたが、

答えはいずれも「まだ受け取っていない」だった。

そのまま宙ぶらりんの状態が続き、

一週間経ったのち、ようやく裁判所から一本の電話がかかってきた。

書記官は云った。

「相手方に送達されませんでした。

もう一度、送達しなければなりませんね……」



……続く。

 

2006.09.09 土曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十五話 「書記官を説得する!」



――相手方が特別送達を受け取らない。



裁判所はすべての手続きを事務的に進めていく。

事務手続きは、公正に行われる。

当たり前と云えば当たり前のことであるが、

しかし、この当然さは、時と場合によっては曲者になりかねない。

裁判官が下した命令がいくら正当なものとは云え、

債務者がその内容を知らない状態では、

さすがに事務の継続がその段階で滞ってしまう。

次のステップ――引渡命令を基にした強制執行の申立

にジャンプすることが出来ないのだ。

困った状態である。



これに対して、引渡命令を担当する書記官は、

「再度、特別送達を行うこと」を進言してきた。

だが、待って欲しい。

一度、特別送達を行って、そのまま郵便局に留め置かれたものが、

再度、同じような手続きを踏むことによって、

今度は確実に相手方が受け取ると云うことに繋がるのだろうか。

単に時間だけを無為に費やす結果にならないだろうか。

ワタシには容易に近未来に起こりうる事態を妄想できた。

これから一週間か二週間後に、

「ああ、やっぱり送達出来ませんでしたね」

だなんて、さも当然のように云う書記官の声が――。



……想像しただけでも、胃液を吐いてしまいそうな程、腹立たしくなる。



妄想は続き――。

そして、書記官は、ワタシに云うのだ。

「送達が届かないなんて、仕方ないですねえ」



……やはり、腹立たしい。

「仕方ないですねえ、じゃねえだろ」と云う言葉が

胃液と一緒に喉元まで出て来そうだ。

タイムイズマネーと云うではないか。

時間のロスは金のロスなのである。

一刻も早く物事を進展させなければ――。



ワタシは結論を出した。

無駄に時間を費やす結果になりそうな特別送達ではなく、

書記官には、別の手段で対応して貰う。

書状等の書留郵便に付する送達――いわゆる、付郵便送達だ。

付郵便送達とは、簡単に云ってしまえば、

居住地や勤務地に書状を送っても相手方が受け取らない、

もしくは受け取れない状況にあった場合、

書留郵便かそれに準じた方法によって送達を行う。

これにより、裁判所から書留郵便を送った時点で、

実際に相手方が受け取ろうが受け取らまいが、

相手方は書面を受け取ったことと見なすと云う送達方法である。

この方法を実施するか否かは、

裁判所書記官の判断によって行われるのがミソだ。

書記官を落とせば、この方法が使える。



腹は決まった。

――書記官を説得する!

ワタシは受話器を気合いを入れるかの如くグッと握り、

書記官相手に相手方の素性を喋った。



ワタシ
「……相手方は物件明細書にも記載されている通り、

その不動産に居住している人間ですし、

ワタシが相手方と実際に会って調べたところ、

夫婦二人で占有していて、

第三者がいる兆候はまったくありませんでしたよ」



書記官は面倒臭そうに「はあ……」と相づちを打つ。

ワタシの気合いとは裏腹に、

書記官は早くも電話を切りたがっていたのは、云うまでもなく……。



……続く。



<WEB拍手のお返事>


9/6 3時
この後のどんでん返し楽しみにしています。



期待しすぎない程度に待ってて下さい。

大したことじゃないかも知れませんから(笑)

 

2006.09.10 日曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十六話 「対決! 追い出し屋G VS 書記官」



――電話の向こうから、ため息にも似た声が聞こえた。



用件だけを伝えるだけ伝えたら、

お役ご免とばかりに仕事を終えたいと思うのが、

有職者の一般的な認識と云うものだろう。

電話の向こうの裁判所書記官は、

併せて「敢えて自ら触らず起こさず」の

無難な公務員気質を有している人間らしく、

早くも受話器の無数の穴から、

彼の「電話を切らしてくれ」オーラが存分に発散されていた。

だが、ワタシにはワタシの都合がある。

再度、特別送達と云うプロセスはどうしても避けたい。

無駄な時間が費やされるだけの結果は、目に見えている。

それに対して、裁判所書記官である彼の場合はどうだ。

単にメッセンジャー的な役割を果たしたので、

この役を降りたい、と云った程度のものだろう。

第三者の目から見たって、彼の事情はワタシの事情には勝らない。

ワタシはその一念を持って、彼を説得していた。



ワタシ
「ワタシは相手方はわざと受け取っていない、

と断言できるのですが……」


書記官
「それじゃあ、相手方の就業場所に送りましょうか。

勤務先だったら、わざと受け取らないと云うこともないでしょうし」


ワタシ
「相手方の就業場所を把握していません」


書記官
「調べることは出来ませんか?」


ワタシ
「調べるよう、努力はしますが……。

ただ就業先が分からない可能性が非常に高いです。

そうであれば、二回目は特別送達ではなく、

付郵便送達でお願いしたいのですが」



頃合いを見計らっていたワタシは、

このタイミングで核心にズバリ斬り込んだ。

電話での交渉である。

あまり長い時間喋っている訳にもいかないだろう。



書記官
「はあ……。

ただ、まあ、一応、特別送達を相手方が受け取らなかった場合、

再度、同一の送達方法で送るのが、裁判所の規則ですから」



こちらの状況を一切考慮しない、無体な返事である。

もちろん、反発するワタシ。



ワタシ
「え、そんな杓子定規的なことを裁判所が行っているのですか?

相手方はわざと特別送達を受け取っていない、

その可能性が高いことこの上ないのですよ」



書記官は、時折、「はあ……」と云ったため息を挟みながらも、

ワタシの言葉を聞いていた。



ワタシ
「それに、何が何でも同一方法での送達をしなければならないって。

そんな規則は聞いたことありません……」



この調子で五分ばかり話すと、

書記官も電話で喋るのが苦痛になって来たのだろう。

何故自分の云った通りにしないんだと云う気持ちも相まって、

大層不機嫌な声になっていたが、

彼の口から付郵便送達を許可する言葉が出た。



よし――。

これで、交渉成立である。



書記官
「それじゃあ、付郵便送達で送りますけれども、

ただこれを行うためには、

相手方がそこに居住していると云う調査をして、

その
報告書を提出して下さい。

あと、今回、個人が占有していると云うことですので、

住民票も忘れずに添付して下さい――」



彼は早口でそのように伝えると、

ワタシが「分かりました」と云う前に電話を切ってしまった。

まあ、いい。

これで時間の大幅なロスは、ない。



早速、ワタシはパソコンに向かい、ワードを立ち上げた。

調査報告書の作成にかかったのだった……。



……続く。

 

2006.09.11 月曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十七話 「リフレインが止まらない」



――裁判所書記官との交渉が上手いこと成功した次の日には、

ハヤシバラ宛の付郵便による送達がなされた。

これで占有者が故意に送達の受け取りを拒否していたとしても、

執行に至る手続きを止めることは出来ない。

さあ、穴に隠れた占有者を燻(いぶ)り出す準備は整った。

後は強制執行の申立てを行うだけ――。

事務的に粛々と手続きを進めればいいのではあるが……。



だけど――と、ワタシは思った。

自分も交渉人の端くれである。

手続きを進めるからと云って、

そのまま何もせずに強制執行に至るなんてことは、

避けなければならないことであるし、

よしんば結果としてそうならざるを得なかったとしても、

自分で納得出来るだけの交渉を行えるよう、

努力をしなければならないのではないか、と。



ああ、そうなのだ。

何かを行う過程においては、ベストを尽くさなければならない。

結果はプロセスについてくるものであり、

努力を怠っているものに決して、成功の二文字はあり得ないのだ!

あり得ないのだ!

あり得ないのだ!

……得ないのだ!

……ないのだ!

……のだ!



真面目モードのワタシの頭の中で響くよ、言葉のリフレイン。

リフレインが止まらない。

突如、脳内のスイッチが入り――。

そして、脳裏で無駄にうごめく、C−C−Bの「ロマンティックが止まらない」。

しかも全体のパートは分からず、サビの部分だけ、無限リピート。

一体、いつの時代に流行った曲だよ、なんてツッコミも入れられず、

サビだけの、嫌な感じのBGMに触発されたワタシは、

いてもたってもいられない気分になる。



ワタシはべたつくような気持ち悪さから逃れるためにも、

即、行動しなければならない。

待ってるだけじゃ駄目だ。

夢見る少女のように、白馬の王子様を待ってるだけではいられないのだ。

夢見る少女じゃいられない。



今日、やるべき仕事を全部終え、後は帰るだけの状態にも関わらず、

一言「占有者の家に行って来ます」と云い残し、会社を飛び出した。

向かう先は、決まっている。

ハヤシバラが占有する家――だ。



彼の占有宅に着いたのは、夜の九時をもう回った頃だった。

この時分になっても、ワタシの脳内テープデッキは、

「ロマンティックが止まらない」と相川七瀬の「夢見る少女じゃいられない」

のサビを交互に再生し続けていた。



ワタシは頭を振り、邪念を消し飛ばそうとした。

だが、脳内BGMは凝り固まっており、簡単に消えなかった。

仕方がない――。

ワタシは、未だ鳴り響くC−C−Bと相川七瀬の残響と共に、

ドアのピンポンを鳴らした……。



……続く。

 

2006.09.12 火曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十八話 「不在の理由」



――ぴんぽーん。



ドアの向こうから、間の抜けたチャイムの音が微かに聞こえてくる。

しばし、待つ。

だが、一向に閉ざされたドアが開く気配はない。

再度、呼び鈴を鳴らす。

が、結果は同じことだった。

待てど暮らせど、住民は顔を出すことはなかった。



勢いよく会社を出てきたところまでは良かったものの、

その後が、全く宜しくない。

――結局、ハヤシバラは家にいないのか。

これではテンションもダダ下がりになってしまうのも無理はない。

だが、テンションが下がった下がったと連呼してても仕方がない。

ワタシは暗くなった気分をなだめつつ、一筋の光明を求めようとした。

建物を一望するべく、門扉から離れる。

家の一階。

居間も、台所も、風呂場からも、灯りは漏れてない。

家の二階。

居室からも灯りの気配すらない。

ただひたすらに、闇のままだ。



やはり、いないのか――。

ワタシは深く、考える。

しかし、この段階になって、何故、いないのだ?

もしや、夜になると息を潜めてジッと身を隠すような、

そんな毎日を送っているのだろうか。



……。

実際、どうなのだろう――。



ワタシは、以前会ったハヤシバラの顔を思い出した。

もし、自分がハヤシバラであったら、どうする?

毎晩、暗闇の中で隠れるようにして、過ごすか?

ワタシは、首を横に振った。

いや、そんな身を潜めるような形では過ごさない。

相手がどう云おうと、自分には権利があるのだ。

この家に住む居住権を持っている。

若造なんかに、文句を云われる筋合いなどない――。

ハヤシバラだったら、間違いなくそう断言する。

あの手の頑固な老人だ。

良いにせよ悪いにせよ、

自分の思ったことをそう簡単には曲げない。



やはり、いないのか。

だとすると、不在の理由は、一体何だ?



もう、転居したから?

――いや、これは前にも考えたが、転居するならするで、

あの老人のことだ。

発つ鳥跡を濁さずの精神は持ち合わせてはいない。

仮にそうだとしたら、貰える貰えないに関わらず、

買受人に対して、しっかり金の無心をしてくるだろう。



長期の旅行に出ている?

――これも前に考えた。

可能性としてあり得なくはないが、かなり低いのではないか。

今のタイミングで悠長にのんびりと旅行が出来る、

そんな人間など日本全国探しても、ごく限られた人間だけだろう。



もしかして――。

ここでふと、可能性を見出していた。

ハヤシバラと彼の奥さんは、とっくに高齢の域に達している。

持病が悪化したとかで、入院しているなんてことはないだろうか。

これは自発的な転居や長期旅行などよりも、

よっぽどあり得るだろう。

それは厄介だ。

厄介な――こと?



……ここで、最悪のシナリオがワタシの脳裏をよぎった。



まさか、まさか――だ。

部屋の中で一家心中している――?



……いや、それは、ない。

あり得ない。

ワタシはそんな疑念など振るい落とすかのように、

首を横に振り続けた。



あれ程うるさかった、C-C-Bと相川七瀬は、

すでにどこか遠くの世界へと消え去っていた……。



……続く。

 

2006.09.13 水曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第六十九話 「強制執行へのプレリュード」



――
相手はどのような手を打っているのだ?

相手がいるのか、それともいないのか。

占有者が家にいないであれば、その理由は何だ――?

この段階において、不在理由はもとより、

存在しているのかどうかすら、知るすべはなかった。

ワタシの立場としては、とても宙ぶらりんなものであり、

魚の小骨が喉に刺さるよりも、気持ち悪い状況だった。



――仕方あるまい。

手続きを進めていく上で、物事の解決を図っていこう。

ワタシがハヤシバラの消息をつかもうとしている今も、

強制執行に向けての手続きは、着々と進んでいる。

その歩みは亀のように鈍くても、立ち止まっている訳ではない。

そう思い、ワタシは他の仕事を片付けつつ、

来るべき日を待ったのだった。



そうして、付郵便送達が行われてから、

一週間と数日経ったある日のことだ。

この間、占有者からの連絡など一向になかった。

ワタシは、裁判所に電話をかけた。

ハヤシバラに下された引渡命令が抗告期間を経て、

確定したかどうかを確かめるためだ。

通常、相手方が送達を受け取ってから、

一週間が抗告期間であるが、

一応、念には念をいれて、二日間程度の予備日として取られる。

予定から考えると、今日が予備日を含めた最終日にあたる。

受付から担当係に電話が回されると、他の書記官が電話口に出た。

ワタシが引渡命令の事件番号を伝えると、

「担当に代わります」とだけ云い残し、保留音に切り替わった。


しばし後、担当の書記官が出た。

ワタシが再度、事件番号を述べ、状況を確認したい旨を述べると、

彼はいつも通り、口調だけは丁寧であっても、

その根底には嫌々人と話しているな、

と云うことがあからさまに分かるような、無愛想な声で答えた。



裁判所書記官
「相手方からは、抗告は出ていません。

予備日をみましたが、郵送されなかったので、

さかのぼって、二日前に確定ってことですね」



予備日はあくまでも予備日である。

その間に、相手側から何のリアクションもなければ、

引渡命令は、日にちを遡(さかのぼ)って確定される。

ワタシは、訊ねた。



ワタシ
「付与はいつから出来ますか?」



付与とは、執行文付与のことだ。

簡単に云ってしまえば、執行文付与の申立を行うことによって、

判決正本が執行を行う効力のある代物だと云う、

裁判所書記官からのお墨付きが付く。

このお墨付きと、相手方がきちんと正本を受け取ったと云う証明である、

送達証明のふたつの証を取得することが、

強制執行の申立を行うためのプレリュードとなるのだ。



裁判所書記官
「付与は――と。

えーと、ねえ。

明日の午後からだったら、大丈夫かなあ……」



やはり、面倒臭そうに答える書記官。

この無愛想さ加減は、並大抵のものではない。

もし彼が営業職だったら、アラスカで氷を売るどころか、

縁日の夜店で綿菓子を売ることすら出来ないだろう。

ワタシは「分かりました」と答えると、電話を切った。

これでまた次なるステージへと歩を進めることが出来る。

次の舞台は――強制執行の申立だ。



待っていろ、ハヤシバラ――。



……続く。

 

2006.09.17 日曜日


対決! 追い出し屋G 対 抗告屋 編


第七十話 「執行官室へのパスポート」



――裁判所の手続きと云うのは、非常に煩雑である。

法治国家にとって司法のジャッジと云うのは絶対的なものだから、

念には念を入れて、手続きの中で間違いを犯さないように、

複数の段階に分かれているのであろう。

しかし、どのような事案であったとしても、

事実を知っている人間からしてみれば、

その事実が認定されるまでの期間が、

蛇のように冗長としたものとして感じられ、

それ故、非常にもどかしく、かったるい代物としか思えない……。



ワタシはまた、裁判所を訪れていた。

引渡命令の正本に執行文を付与して貰うのが第一の目的である。

裁判所の別館2階にある、民事部の書記官室に